「俺は母をだまし討ちにした?」ホームに入れた罪悪感に苦しむ
松浦晋也
親を「グループホーム」に入れたらどんな介護生活になるのか。
そもそも「グループホーム」とは、どこにある、どんなところなのか?
親が高齢になれば、いずれ否応なく知らねばならない介護施設、その代表的なものの一つである「グループホーム」。『母さん、ごめん。2 50代独身男の介護奮闘記 グループホーム編』で、科学ジャーナリスト、松浦晋也さんが母親をグループホームに入れた実体験を、冷静かつ暖かい筆致で描き出します。
介護は、事前の「マインドセット」があるとないとではいざ始まったときの対応の巧拙、心理的な負担が大きく変わってきます。本連載をまとめた書籍で、シミュレーションしておくことで、あなたの介護生活が「ええっ、どういうこと?」の連続から「ああ、これか、来たか」になります。
『母さん、ごめん。2』は、書籍・電子版で6月23日に発売しました。本書の前段に当たる、自宅介護の2年半を描いた『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』は、電子版、集英社文庫が発売中です。
2017年1月30日、私は2年半の自宅介護の末に、母をグループホームに入居させた。
自宅介護の一部始終は、日経ビジネス電子版(当時は日経ビジネスオンライン)に「介護生活敗戦記」として連載し、『母さん、ごめん。』という本にまとまった。
が、介護は親を施設に預けたらおしまいになるわけではない。その後5年以上が経過したが、今も私の介護生活は続いている。
自宅で面倒を見ているときに比べて、ずっと負荷は減った。なによりも心強いのは、今はグループホームに勤務するプロフェッショナルのスタッフの方々のバックアップを受けることができる、ということだ。
それでも認知症は不可逆に進行し、私は母の変化に振りまわされ続けている。母が元気だった頃の生活は戻らない。そして、「母を預けている」という状態でも、なにもかもがうまくいくわけでもない。
これから書き記していくのは、2017年1月30日から始まった、「自宅介護の、そのまた次の段階」の記録である。あくまでサンプル数1なので、過度の一般化には注意して読んでもらいたい。なお、人間関係に代表される微妙な事柄についての記述は若干の脚色をしてあることを、先にお断りしておく。
母をだまし討ちにしたのではないか
母を預けた直後、私は溜まりにたまった疲労が噴出してひっくり返ってしまった。朝食を食べるとまたよろよろと寝床に潜り込んで寝てしまい、気が付くと夕方、という生活がほぼ1カ月続いた。考えてみればぜいたくな話で、フリーランスでなければこんな生活はできなかったわけだが。
ある程度体力が回復すると、私は寝床の中で「これからどうすべきか」と考えるようになった。
「母は預けた、はいもうおしまい、会いにも行かない」ということも可能ではある。が、それはできないと考えた。母を憎んでいるわけではない。最後の日まで支えられるところは、支えていかねばならない。
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