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89歳医師に学ぶ! 生涯現役を続けるしなやかな「メンタル力」

第25回 人から必要とされ続ける秘訣とは何か?

 奥田弘美=精神科医(精神保健指定医)・産業医・作家

 7月より高気圧の異常状態が続き、前代未聞の酷暑の夏となっていますが、あなたの心と体はお元気でしょうか? こんにちは、精神科医・産業医の奥田弘美です。

 さて私事で大変恐縮ですが、このたび89歳で現役精神科医を続ける中村恒子先生の金言と生きざまをまとめた本『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』(すばる舎)を上梓(じょうし)いたしました。

 中村先生は約70年にわたって勤務医を続けている方で、人生100年時代といわれる現在において、生涯現役を文字通り体現している先駆者的存在です。今回は拙著の一部を抜粋しながら、産業医としての筆者の経験も加えつつ、先生が生涯現役であり続けることができる秘訣を紹介したいと思います。

89歳でフルタイム勤務を続ける

89歳の今も精神科医として週4日フルタイムで働く中村恒子さん

 中村先生は、つい1年前の88歳までは週6日、みっちりフルタイム勤務を行っていました。2017年夏より、ようやく2日減らした週4日勤務に変更しましたが、今でもきっちり朝9時から午後5時までフルタイムで働くサラリーマン医師です。しかも管理職ではなく、若手医師と同じ勤務体系で大阪府内の病院とクリニックで診療し続けています。

 世間には中村先生より高齢の医師もいらっしゃるようですが、私が知る限りそのほとんどが病院長、もしくは名誉教授、理事長のような形で、管理職やフリーランス的に働いている人がほとんどです。先生のように勤務医の現役プレイヤーとして現場でフルで働いている方は存じあげません。

 中村先生は1951年、つまり終戦の6年後に医師となり、戦後の激動の時代を生き抜いてこられました。特殊な技術や専門性があるわけではなく、一貫して市井の臨床医として働き続けています。

 私は18年前に当時70歳だった先生と出会ったのですが、そのころからずっと「生涯現役で働き続けられるパワー」を波乱万丈の人生とともに本に書いてみたいと願ってきました。そしてようやくその夢を実現することができたわけなのですが、ここでは「組織から長く求められる人材になる」という部分にフォーカスして、先生から学んだ秘訣を2つに分けて紹介します。

その1「仕事の好き嫌いに振り回されない」

 89歳まで現役医師を続けていると聞くと、中村先生はよほど医者の仕事が好きで、何か大きな目標を掲げて使命感に燃えて頑張ってきたのかと思われるかもしれません。でも実は違うのです。

 「出世したいとか、成功したいとか、何かを成し遂げたいとか全く考えたことなし。自分と家族が食べていけるだけのお金を稼ぐために、目の前の仕事をしてきただけ」

 「仕事は大嫌いやないけど、大好きでもない。どっちかというと好きな方に入るかなあ。自分が人の役に立てているのは、うれしいことやねえ」

そう先生は話します。

 中村先生は、終戦の2カ月前の1945年6月、広島県尾道市からたった一人で医師になるため大阪に出てきて、現在の関西医科大学の前身である大阪女子高等医学専門学校に入学しました。その時、高等女学校を出たばかりの16歳。終戦末期は大阪などの大都市を中心に米軍による空襲が頻繁に繰り返されており、いつどこに爆撃機が飛んできて機銃掃射されたり焼夷弾をばらまかれたりして死ぬかもしれないという恐ろしい状態の中での入学でした。

 こう書くと、先生には「お国のために医師になりたい」「銃後を守りたい」などと、その当時の軍国少女的な大志があったかのように思われがちですが、実は女医になった主な理由は「自活するため」でした。

中村さん(右)と筆者の奥田弘美さん(左)

 中村先生の実家は貧しい上に子だくさんだったため、長女の先生は女学校を卒業したら自活しろと常々言われていました。そんな折、大阪で開業医をしていた叔父が、「医師がみな軍医に取られて国内で医者が不足しているから、成績の良い者は医専の試験を受けろ。受かったら学費の面倒は見てやる」と一族に大号令を出したのです。

 その時、先生は軍需工場に勤労奉仕に駆り出されていたのですが、両親にせっつかれる形で試験を受けることになったそう。当時は国の「戦時非常措置」政策によって女医を量産して国内の医者不足を補おうと全国に女子医学専門学校が7校も急造され、比較的入学はたやすかったとか。無事に合格した先生は、「とにかく自活できる仕事を得られるのであれば、何でもいい」と、そんな気持ちで大阪に出てきたといいます。

 医師になってからも60歳ぐらいまでの先生の働く目標は、ずっと「自活するため」「生活のため」。無報酬の極貧インターン時代を経てやっと医師免許を取得したものの、給料をもらえる働き口が見つからず(その当時は病院の数が不足しており、新米医師は無給のまま大学病院で修業しつつポストの空きを待つのが通常だった)、バイト先のおじさんに紹介してもらった開業医宅に住み込んで、助手兼お手伝いさん兼子守として働くことで生計をやっと立てたそうです。

 3年後にやっと奈良県立医科大学精神科助手のポストを見つけて安定した自活ができるように。28歳で耳鼻科医の男性と結婚して2男に恵まれますが、夫は給料を飲み代に全部使ってしまうという酒豪だったため、常に「生活するため」が仕事を続ける強い動機であり続けたそうです。

 そんな先生には、現代のビジネス書などでよく目にする「己のキャリアを積み上げる」とか「一流の○○になる」といったいわゆる出世欲・自己実現願望は一切なし。「自分と家族が生活できるためのお金が稼げたらよい」「ささやかでも人の役に立てていれば、それでよい」いった気持ちで60歳までひたすら働いてきたそうです。

 60歳を過ぎて子供を立派に成人させた後も、先生は「家にいてもすることもないから、自分を使ってもらえて人の役に立てるうちは働かせてもらいましょう。もはや仕事は生活習慣の一部やから」と、相変わらず淡々と仕事をこなしています。

 私は産業医として若手社員と面談をよくしますが、過重労働などの問題がないホワイトな職場であっても、「今の仕事では、自分の能力を伸ばせない」とか「異動後の仕事は自分のキャリアプランとは違う」などと悩む方にしばしば出会います。もちろんしっかり悩んだ結果、自分の目標に合わせて自力で転職を繰り返したり、一念発起して起業したりと、自分の望む仕事を己のかい性で創り出していくチャレンジ精神や根性があれば何も問題ありません。現在はそういうことが十分に許容される時代です。

 しかしそういったリスクを今は極力避けたい、今いる組織の中で働き続けていきたいと思うのであれば、時には中村先生のようなスタンスも必要なのではないかと感じます。

 「自分はこんな仕事をすべき人間ではないなんて、たいそうに考えるからおかしなことになってしまうんです

 「余計な力を抜いて、『まあこれくらいやってやるか』『今はそういうときなんやな』と、変に力まず受け入れてしまったほうがラクですわ

 先生は、そんなふうに考えて70年近く病院組織の中で淡々と仕事を続けてきたそうです。組織が自分に望んでいるタスクを、自分の好き嫌いや都合で判断せず、まずはコツコツと誠実にこなしていく姿勢を貫いてきた先生だからこそ、89歳になった今も求められる人材であり続けているのだと思います。

その2「声をかけやすい人になる/我は捨てる」

 私は中村先生とは約3年同じ病院で働いていました。その時先生はすでに70歳を超えていましたが、若い医師や看護師、スタッフからとても親しまれ愛されていました。その理由の一つは、「声をかけやすい」雰囲気にあると思います。

 病院のスタッフたちは「先生、この処置もついでにお願いできないですか?」などと気軽に頼んでいましたし、先生は「ああ、ええよ」と自分の担当患者さん以外の雑用であっても、気軽に引き受けてあげていました。

 「先生、この患者さんのケアプランどうしましょう?」などと若い看護師から相談を受けたら、「そうやなあ、私はこう思うんやけど、あなたはどう思う?」などと、上意下達ではなく、常に相談しましょうという雰囲気で対話をされていました。

 先生には、「この仕事は私の仕事じゃない」とバリアを築くのではなく、自分のできる範囲で臨機応変にスタッフと協力し合うという姿勢が常にあります。逆に自分が分からないこと、例えばパソコンの操作などについては「ちょっと教えて~」と素直にヘルプを求め、助けてくれたスタッフに対しては「ありがとう、助かったわ」としっかり相手の労をねぎらい感謝される。この「持ちつ持たれつの関係」をいつも築いているからこそ、多くのスタッフに慕われ頼りにされているのだと思います。

 また先生には「年上だから」とか「先輩だから」といった妙なプライドや我が全くなく、自分より年下の医師やスタッフにも常に対等な意識で接するのも特徴です。

 どんなスタッフに対しても「私はこう思うけど、あなたはどう思うの? どうしたいの?」と常に相手の考えや希望を確かめながら、折り合いを見つけつつ事を進める。また、もともと出世や名誉に対する欲がない先生は、自分よりはるか年下の医局長や院長といった上司にも、妙な劣等感や嫉妬を抱くことなく自然なフレンドリーな態度で接していかれます。

 先生の中では、「自分は自分。他人は他人。他人の人生と自分の人生を比べても仕方がない」という意識が常にぶれずにあるようです。戦中戦後の混乱と激変の世の中で生き抜いていくためには、いちいち他人と比較して落ち込んだり嫉妬したりする暇はなかったのかもしれません。

 「他人さんのことなんか気にしている暇あったら、目の前の仕事をこなそう

 「皆それぞれの立場で、たくさんの悩みや苦しみを抱えている。どんな立場になっても悩みや苦しみは常について回る。だから羨んだりしても意味がない」

そんなふうに先生は考えているようです。

 転職したり定年退職後に再雇用されたりする人もどんどん増えている世の中ですが、先生の人間関係の築き方、捉え方は大いに参考になると思います。

 さて、今年も8月15日に、日本は73回目の終戦記念日を迎えます。中村先生とお話ししていると、戦中戦後の想像を絶する混乱期を生き抜いてきた日本人がいかにタフで強かったか、我慢強かったかが身に染みて分かり、敬服の念を禁じ得ません。

 物質的にも経済的にもはるかに豊かになった日本で、生命の危険なく働けている平和に感謝しつつ、私自身もっとストレスに打たれ強くならなければと背筋が伸びる思いがします。この拙稿を通じて、読者の皆様にも中村先生が持ち続ける戦中世代の力強さをその片りんだけでもお伝えすることができれば幸いです。

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奥田弘美(おくだ ひろみ)さん
精神科医(精神保健指定医)・産業医・労働衛生コンサルタント
奥田弘美(おくだ ひろみ)さん 1992年山口大学医学部卒。精神科医および都内20カ所の産業医として働く人を心と体の両面からサポートしている。著書には「1分間どこでもマインドフルネス」(日本能率協会マネジメントセンター)、「何をやっても痩せないのは脳の使い方をまちがえていたから」(扶桑社)など多数。日本マインドフルネス普及協会を立ち上げ日本人に合ったマインドフルネス瞑想の普及も行っている。