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黒田官兵衛に学ぶ、ストレス社会を生き抜くヒント 

第30回 周囲からのサポート力を高めるには

 奥田弘美=精神科医(精神保健指定医)・産業医・作家

こんにちは、精神科医・産業医の奥田弘美です。さて皆様の心と体はお元気でしょうか? 今回も前回「天国と地獄を味わった武将・宇喜多秀家に学ぶストレス対応術」に引き続き、ストレスフルな時代を生き抜いた戦国時代の武将を深掘りしながら、彼らのメンタル力について探ってみたいと思います。

官兵衛は、剃髪後の号・黒田如水(じょすい)としても広く知られる。写真はイメージ=(c) PaylessImages -123RF

 前回は備前国の大名の殿様として生まれながらも関ケ原の戦いで一夜にして敗軍の将となった宇喜多秀家を取り上げ、彼の環境適応能力の高さについて考察しました。秀家は逃亡の果てに八丈島に流刑されるという過酷な運命に耐えながらも、84歳という天寿を見事に全うしました。詳しくは前回の記事「天国と地獄を味わった武将・宇喜多秀家に学ぶストレス対応術」をご覧ください。

 さて、今回はストレスに大きく影響する「周囲からのサポート力」について、黒田官兵衛に登場してもらいながら、あれこれ考察してみたいと思います。なお史実で明らかになっていない部分については、筆者の想像が多分に入っておりますが、「まあそういう解釈もできるだろう」と寛大な心でお楽しみいただければと思います。

ストレス緩和の鍵は「周囲からのサポート力」

 ところで話はガラッと変わりますが、2015年12月から義務化(常時50人以上の労働者のいる事業所の場合、50人未満の事業所は努力義務)されたストレスチェックテストでは、大きく分けて「ストレス反応」(心身に出ている症状)、「ストレス要因」(仕事上のストレスの原因)、「周囲のサポート状況」の3項目を総合的に判断して個人のストレス度を判定します(*1)。

 このうち「周囲のサポート状況」は、表1にあるような質問によって、「上司からのサポート」「同僚(部下を含む)からのサポート」「家族・友人からのサポート」の3つに分けて判定されます。

【表1】「周囲のサポート状況」に関する質問例
「職業性ストレス簡易調査票」より一部抜粋
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 これら3つのサポートが良好であればあるほど、ストレスを緩和する力が高くなります。もし職場の「ストレス要因」の内容や程度が同じ人が2人いるとしたら、「周囲のサポート状況」が良好な人の方が、おそらく心身の「ストレス反応」も出にくくなり、総合的なストレス度も低くなる可能性が高いと考えられます。

 言い換えますと、上司や同僚、家族との関係性が良くサポートをたくさん得ている人ほど、ストレスは緩和され、ストレスに対する耐性が高くなるということです。また、上司・同僚・家族の3つの領域から強力なサポートが潤沢に得られれば得られるほど、アイデアや行動力といった心のエネルギーも湧きやすくなっていきます。

周りのサポートを引き出す官兵衛の人間力

 さて筆者は、戦国時代の武将の中でこの3つのサポート力を見事に活用していたのは、黒田官兵衛(1546~1604年)ではないかと考えています。

*1 国が推奨している「職業性ストレス簡易調査票」で検査した場合

 ご存じ黒田官兵衛は、NHK大河ドラマの主人公にもなった有名な武将です。1546年(天文15年)に生まれ、もとは播磨国(兵庫県姫路市)の小大名・小寺家の家老にすぎませんでしたが、その優れた知力・頭脳を豊臣秀吉に認められ、軍師として大活躍していきます。秀吉の天下取りにブレーンとして大きく貢献して大名に出世し、のちに筑前国福岡藩の祖となります。

官兵衛はこの3つのサポート力をどのように培ったのだろうか

 官兵衛はドラマや小説では、「説得によって敵を味方に寝返らせる」調略の名人であり、知謀に秀でた策士として語られがちです。しかし筆者は官兵衛が、「上司力」「同僚(部下も含む)力」「家族・友人力」という3つのサポート力を常に最大限にしっかり引き出しながら、自分の豊かな才能とリンクさせていった彼自身の人間性にこそ大きな魅力と興味を感じるのです。

 実は官兵衛には、彼が真っすぐな誠実さを持ち、かつ温かな人間味にあふれていたことを示す様々なエピソードが豊富に残されています。

 例えば荒木村重が織田信長に反旗を翻した際には、単身で説得に乗り込むも失敗し、有岡城の劣悪な環境の土牢に1年近くも監禁されますが、敵に寝返ることなく耐え抜いて生還したことはあまりにも有名です。また官兵衛は、この有岡城の牢で世話になった牢番・加藤重徳の恩を忘れなかったようで、彼の子を自分の養子として立派に育て上げ、のちに彼は黒田家を支える重臣となりました。

 このエピソードからも分かるように、官兵衛は愛情深い面倒見のよい人柄だったようで、家臣を大切に育てることに若い頃から腐心し、育て上げた優秀な家臣団と家族に近い深い絆で結ばれていたことも有名です。官兵衛が集め育てた精鋭部隊の侍大将たちは、「黒田二十四騎」と呼ばれ、現在にもその武勇と忠義が語り継がれているほどです。ちなみに先述した牢番の子は、「黒田二十四騎」の一人・黒田一成です。また有名な民謡「黒田節」は官兵衛が育て上げた猛者・母里友信(もりとものぶ)の豪快なエピソードから生まれたとされています。

 こうして官兵衛が育て上げた優秀な家臣は、下克上が当たり前の戦国時代において、官兵衛が有岡城に幽閉されている間も誰一人となく黒田家を見限ったり裏切ったりせず、それどころか見事官兵衛の救出に成功します。忠義者の家臣たちがいなければ、官兵衛は有岡城で獄死したでしょう。彼らはその後の天下を左右する数々の重要な戦いでも大いに武功を立てて黒田家を支え続けました。

 官兵衛は知略に優れていただけでなく、情に厚く部下を愛し育てるという人間力を多分に有していたからこそ、ストレスチェックでいうところの「同僚(部下を含む)からのサポート力」を常に得続けていくことができたのでしょう。

 伝わるところによると、官兵衛は「人を活すること多大」であり、家臣をよく日ごろから観察することを怠らず、その得手(長所)を伸ばし、不得手(短所)を補う手段や仕組みを考えることにたけていたようです。また官兵衛は、その生涯のうちで一度も部下を手打ちにしたり死罪を申しつけたりしなかったともいわれています。現代に置き換えると、自分が気に入らなくなった部下に対してパワハラしたり切り捨てたりしないで、長所を見つけ出して上手に活用できる懐の深い上司・経営者だったといえるかもしれません。

「信頼のブランド」を築けた理由は?

 このように知謀だけではなく温かい人間性と誠実性を兼ね備えた官兵衛は、「上司のサポート力」ももちろん抜群でした。若い頃は秀吉はもちろんのこと、秀吉お抱えの名軍師・竹中半兵衛にも気に入られ、軍師としての薫陶を受けたようです。

 ちなみに官兵衛が有岡城に幽閉されたとき、信長が「官兵衛が敵に寝返ったに違いない」と勘違いして官兵衛の息子・松寿丸(のちの黒田長政)を殺すように秀吉に命じますが、竹中半兵衛がひそかにかくまって命を助けたとされ、黒田家の存続を左右する重要なサポートも行っています。もし信長に知られると半兵衛自身の命が危なくなるリスクの高い行為でしょうが、それをおしても松寿丸をかくまうことを半兵衛に決意させる信頼関係を、官兵衛は作り上げていたのでしょう。

 実際、官兵衛が秀吉の軍師として次々と敵の調略に成功したのも、彼の誠実な交渉態度に高い信頼性があったからこそ。官兵衛は二枚舌を使って敵をだましていたわけではないのです。彼は優れた頭脳で状況を正確に分析し、敵にメリット・デメリットを分かりやすく伝えたうえで、敵にとっても最大限に有利になる条件を提示するという方法で説得したようです。今でいうところの「ウィンウィンの関係」を可能な限り目指して官兵衛は交渉していたのです。

 また官兵衛はその当時の武将としては稀有(けう)なヒューマニズムの持ち主で、「知謀をもって敵城を降参せしめ和議を調え、人を殺さずして勝事を好みたまう」(「黒田家譜」(*2))を旨としていたといわれます。降参した敵の家臣も極力生かすように努め、望む者は自らの家臣として迎え入れることも多かったようです。裏切りやだまし討ちが日常茶飯事だった戦国時代において、「官兵衛の言うことならば信用できる。官兵衛ならば約束を反故(ほご)にしない」と、彼の誠実さと篤実さが「信頼のブランド」となっていたために敵方の武将も彼の言葉に耳を傾けたのでした。

息子思いの「父の愛情エピソード」も

福岡城跡。写真はイメージ=(c) PaylessImages -123RF
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 さてこうして上司力・部下力を得て才能を十分に開花させた結果、名もなき田舎の家老から秀吉の名参謀に出世して全国に名をはせた官兵衛でしたが、あまりにも頭脳明晰(めいせき)であるがゆえに、天下統一を成し遂げたのちに疑念が強くなった秀吉から次第に警戒されるようになったようです。

 秀吉という上司力が低下してきたことを敏感に察知した官兵衛は、家督をさっさと息子の長政に譲って40代半ばの若さで隠居し、「如水」と名を改めて入道してしまいました。のちは若い長政を後ろから支えつつ、晩年の秀吉の命じる軍務を粛々とこなしていきました。このような動きができたのも、官兵衛の家族力が良好だったからといえるでしょう。

 官兵衛は長男・長政を甘やかすことなく厳しく深い愛情を持って育て、彼の帝王学をしっかりと伝授したようです。「黒田如水教諭」と呼ばれる遺訓にも「神の罰や主君の罰よりも臣下百姓の罰おそるべし」(家臣や百姓の支持を失うことが領主にとって一番恐ろしいことだ)などといった名言の数々が残されています(*3)。

 官兵衛の教育により長政は立派に成長し、関ケ原の戦いにおいて父親譲りの知謀をもって多くの武将を徳川家康に味方するように説得・調略し、東軍勝利のために大きな功績を上げました。官兵衛はこの間、自らも兵を挙げて小大名たちを次々と攻略し北九州を席巻しています。

 その結果、黒田家は関ケ原の戦いによる功を大いに家康に認められ、筑前52万石の大大名となりました。息子・長政と父・官兵衛の連携プレイによる見事な家族力で、天下分け目の関ケ原の戦いを見事に勝ち抜き、黒田家をさらなる隆盛に導いたのでした。

 関ケ原の戦いののち、官兵衛の晩年は非常に穏やかであったようです。50代になっていた官兵衛は本格的な隠居生活に入り、息子・長政に頼んで福岡城の一角に小さな屋敷を造って夫人とともに仲良く住み、よく城下をぶらぶらと散策しては領民の子供たちに菓子をやり遊んでやったといわれています。ちなみに官兵衛はこの時代の武将に珍しく、側室を持たずに正室1人とのみ一生を添い遂げています。

 1604年(慶長9年)、病気で寝込んだ官兵衛は自らの死を予測し、わざと家来たちに当たり散らして自分が嫌われるように仕向け、長政に家来たちの忠心が向くようにしたという、いかにも策略家らしい「父の愛情エピソード」も現在に伝わっています。また官兵衛は遺言として、家臣たちに「殉死」(主人の後を追って死ぬこと)を固く禁じ、優秀な家臣たちが引き続き息子・長政を支えるように計らいました。

 官兵衛の辞世の句は、

 「おもひおく 言の葉なくて つひに行く 道は迷はじ なるにまかせて」

 この世に思い残す言葉はない。迷うことなくなるにまかせて旅立とう……といったような意味でしょうか。激動の戦国時代を全力で生き抜いた官兵衛が、安らかな心で悠々と晩年を過ごし、この世に未練なくすがすがしくあの世に旅立ったことは間違いないと思います。

まず、周囲の身近な人を大切にすることから

 さて、今回は黒田官兵衛の人間性にスポットを当てて、彼がいかに終生にわたって堅固な周囲のサポート力を持ち得たのかを考察してきました。官兵衛には温かな人間性と誠実さが根底にあったからこそ、「上司」「同僚(部下)」「家族・友人」という3方からのサポート力に恵まれ、その結果、彼の才能が戦国時代という苛烈なストレス社会でも存分に活用できたのだと筆者は考えます。

 現在、書店にはあらゆる類のビジネス書があふれ、ちまたではスキルアップのセミナーや研修があちこちで開催されていますが、「自分の才を伸ばすことだけに注力するのではなく、まずは自分の周りの人々に対して裏切ることなく誠実に接すること、そして自分を支えてくれる部下や家族にはできるだけ愛情をかけて育てることが大切である」と、官兵衛は生きざまを通じて教えてくれているように思います。

 官兵衛はその結果、少数精鋭の本当に信頼できる人間関係を常に身の回りに大切に保ち続けたことで、人生の危機をいくたびも乗り越えて晩年には心の安寧なる世界にたどり着くことができました。

 現代に生きる私たちは交流サイト(SNS)などで多くの人と簡単に浅く広く手軽につながることができ、「ゆる~い表面だけのノリのよい付き合い」が急速に増えています。また一方、現実社会でも、利害関係で簡単にくっついたり裏切ったりする烏合(うごう)の衆的な人間関係が少なくありません。もしかしたら現在も「心の戦国時代」は続いているのかもしれません。こうしたストレスフルな現代社会であるからこそ、官兵衛のように深い信頼と安心感で結ばれた人間関係を、たとえ少数でもいいから構築していくことを心がけたいものですよね。

*2 『豊臣秀吉の天下取りを支えた軍師 黒田官兵衛』(宮帯出版社、小和田哲男監修)より
*3 『豊臣秀吉の天下取りを支えた軍師 黒田官兵衛』(宮帯出版社、小和田哲男監修)、『黒田官兵衛 作られた軍師像』(講談社現代新書 渡邊大門)より

※年代・事跡などについては諸説あります。
【参考文献】
●『豊臣秀吉の天下取りを支えた軍師 黒田官兵衛』(宮帯出版社、小和田哲男監修)
●『黒田官兵衛・長政の野望 もう一つの関ヶ原』(角川選書、渡邊大門)
●『秀吉に天下を獲らせた男 黒田官兵衛』(宮帯出版社、本山一城)
●『播磨灘物語1~4』(講談社文庫、司馬遼太郎)
●『黒田官兵衛 作られた軍師像』(講談社現代新書 渡邊大門)
●『黒田官兵衛 鮮烈な生涯』(晋遊舎ムック歴史探訪シリーズ)

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奥田弘美(おくだ ひろみ)さん
精神科医(精神保健指定医)・産業医・労働衛生コンサルタント
奥田弘美(おくだ ひろみ)さん 1992年山口大学医学部卒。精神科医および都内20カ所の産業医として働く人を心と体の両面からサポートしている。著書には『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』(すばる舎)、『1分間どこでもマインドフルネス』(日本能率協会マネジメントセンター)など多数。日本マインドフルネス普及協会を立ち上げ日本人に合ったマインドフルネス瞑想(めいそう)の普及も行っている。