日経グッデイ

あの人のカラダマネジメント術

朝原宣治さん モチベーションと集中力を維持する秘訣

元陸上五輪メダリストに聞く(2)

 高島三幸=ライター

かつて、アスリートとしては高齢の36歳でオリンピックに出場し、4×100mリレーで男子トラック種目初のメダルを獲得した朝原宣治さん。そんな朝原さんに自身の「体と心のマネジメント法」について聞いた。今回はモチベーションと集中力を維持する秘訣についてだ。

36歳でオリンピックに出場し、男子トラック種目初のメダルを獲得した朝原宣治さん

朝原さんといえば、2008年、36歳というアスリートとしては高齢で、北京オリンピック4×100mのメダルを獲得されたことが話題となりました。あらためて振り返ってみて、参考になるような高齢選手のケーススタディがない中、気力やパフォーマンスを大きく落とすことなく、世界の第一線で活躍し続けられた理由は何だと思われますか?

 僕は30代になるまで、いろんなことを試しながら競技生活を送っていたんです。例えば冬季トレーニングは、スピードを落として走り込みを行い、春先にスピードを上げてシーズンに臨むといった、多くの陸上選手がやるような正統派のアプローチはもちろん行いましたが、冬場に室内大会に出場しながらスピードを全く落とすことなく、シーズンを迎えた年もあります。

 ウエートトレーニングのやり方も毎年変えていました。ドイツに留学してドイツ流のトレーニングに励んだ年もあれば、米国で全く違う理論によるトレーニングを試した年もあります。その後はドイツ流と米国流をミックスさせたトレーニングを考えたりして…。現役時代、同じような冬季トレーニングをしたという記憶がないのです。

 だから30歳を超え、加齢による体力などの衰えから、練習方法を量から質に変えるといった必要性にかられても、気持ち的に全く違和感なく取り組めました。つまり、成功体験に頼らないトレーニング方法をずっとしてきたんです。

飽きないようにトレーニングのアプローチを変える

いい結果が出ると、成功体験に頼りたくなりがちですが。

 僕は同じトレーニングをやるのが嫌なんです。同じことを繰り返すと飽きるから。飽きることは、モチベーションや集中力を低下させます。それは仕事でも同じでしょ? だから、シーズンが終われば結果に関係なく、今年の冬季練習はどんなアプローチにして、どんなふうに来シーズンを迎えようかと考えていました。今シーズンはこんなふうに走っていたので、フォームをこう改善して、練習はこうしようと、自分なりの課題やテーマを持って、新しいことに取り組むのはワクワクしましたね。

 27歳の時にくるぶしを骨折して長期休養に入り、一度トレーニング方法やフォームなどをリセットして、ゼロから構築し直している時期があります。リハビリから始めて再び第一線の舞台で走れるようになったのも、大きな自信につながりました。それも、過去の経験にしがみつかなくても平気な理由の一つかもしれません。

 現役生活終盤は、当時JISS(国立スポーツ科学センター)で動作のデータ計測・分析をしてくださっていた松尾彰文先生(現在は鹿屋体育大学非常勤研究員)にサポートしてもらい、データの中の一番良い数値と自身の動きの感覚をすり合わせながら、先生とディスカッションを重ねて理想のフォームを追求していました。仮説を立てて試合の結果から検証する。結果が良くても悪くても仮説と大幅に違うのは気持ち悪くて、なぜこうなったのかをよく考えていましたね。

 加齢による体の変化と向き合いながらベストパフォーマンスを発揮するには、「楽で速い」が大切なキーワードになります。だから、走った直後の疲労感とゴール後の回復度合いなどを見ながら、フォームやトレーニング方法が本当に正しいかどうかを判断していました。自分の体を自分でプロデュースするような、最高に楽しい作業でした。

他人でなく自分に勝つことで自信を取り戻す

トレーニングを毎年変えて飽きないようにしていたとはいえ、モチベーションが落ちないのはやはりすごいです。

 いや、32歳で挑んだアテネ五輪出場後の2004年の冬は、記録が落ち気味になったこともあり気持ちが下り坂になり、ほとんどトレーニングもせず、フェードアウトしかけていました。でも、2005年のシーズンは国内のライバルがあまり強くなくて、モチベーションが低い状態でもヘルシンキ世界陸上(2005年)の代表になってしまいました。そんな生半可な気持ちで挑んだものだから、案の定、結果も良くなく、400mハードルの為末大くんがメダルを獲得するという偉業を果たしても、「おめでとう」という気持ちしか湧かず、悔しさすらなかったですね。

 でも、閉会式で僕が先頭になって、「See you in Osaka(大阪で会いましょう)」と書いてある横断幕を持って歩いたんですよ。もちろん、2007年に大阪で開催されることは知っていましたが、でもその瞬間、地元開催だから走りたいという気持ちがぐっと込み上げてきました。あの時、横断幕を持っていなかったら競技を続けていなかったかもしれない(笑)。

「横断幕を持って歩いているうちに『走りたい』って…」

 今もお話ししたように、アテネ五輪(2004年)あたりから記録が落ち始めたのですが、その頃は人間としての価値も同じように落ちている気になっていました。「自分の競技パフォーマンス=自分の価値」なんて、それまで考えたこともなかったのですが、現に結果が出なければマスコミも取材に来なくなり、不安に陥ってしまいます。

 一方で、フェードアウトしたまま引退すれば、引退後の人生、自信を持って歩けないかもしれないという思いもありました。だから、大阪の世界陸上を利用しようと思ったんです。誰かに勝ちたいとか、すごいタイムを出したいという以上に、もう一度、競技力を上げて自信を取り戻したいと。それが日々のトレーニングに挑む上での、大きなモチベーションとなって35歳の体を突き動かしたのだと思います。

結果、2007年に地元・大阪で開催された世界陸上競技選手権大会4×100mリレーでアジア記録(38秒03)を樹立し、5位入賞を果たされました。

 今まで体験したことのない熱気と大声援の中、最高の花道を用意してもらい、悔いなく引退できると思いました。でも、何となくですが、引退を発表しないままオフシーズンに入り、家族で旅行に出かけました。その宿泊先で、お風呂上がりに無意識にストレッチをしている自分がいたんです。ああ、これは本能的に翌年の北京オリンピックも走りたいんだなと思いましたね。選手続行を決めました。大阪世界陸上で引退した方がいいという声もありましたし、目指してもけがをして大阪世界陸上で引退しておけばよかったと後悔している姿も頭をよぎりましたが、引退会見でなく、続行会見を開きました。

 2008年の北京オリンピック4×100mリレーでは、体調を崩しながら末続慎吾くんが素晴らしい走りを見せてくれたり、米国チームがバトンを失敗したりと様々な要因が重なりましたが、夢にまで見た五輪のメダルを獲得し、日本チームは一つの壁を突破したと感じました。

 その後、男子4×100mリレーは僕やメダル獲得メンバーが抜けても記録を伸ばし続け、表彰台に乗る常連チームになりました。それまで日本人が陸上短距離の世界で表彰台に上ることは夢の話だったのに、面白いもので、人間、結果を出すことで壁という意識が一度取っ払われると、それまでの常識が常識でなくなるのだと感じました。

「結果を出すことで、壁の意識が取っ払われるんですね」
次回に続く)

(インタビュー写真 水野浩志)

【元陸上五輪メダリストに聞く】

第1回 朝原宣治さん46歳 今だから話せる世界マスターズVの裏話
第2回 朝原宣治さん モチベーションと集中力を維持する秘訣
第3回 朝原宣治さん 年齢に負けず、疲れにくい体をつくる方法とは?

朝原宣治(あさはら のぶはる)さん
朝原宣治(あさはら のぶはる)さん 1972年兵庫県生まれ。高校時代から陸上競技に本格的に取り組み、走り幅跳び選手としてインターハイ優勝。大学では国体100mで10秒19の日本記録樹立。同志社大学卒業後、大阪ガスに入社、ドイツへ陸上留学。2008年北京オリンピックの男子4×100mリレーで銅メダル獲得。引退後、2010年に陸上競技クラブ「NOBY T&F CLUB」を設立。2018年9月、スペイン・マラガで開催された世界マスターズ陸上競技選手権大会・M45部門・男子4×100mリレーで金メダルを獲得。