卓球、平野早矢香さん プレー以外の8割の時間で勝つ
元五輪卓球メダリストに聞く(2)
高島三幸=ライター
福原愛さんや石川佳純選手など年下のライバルがいるなかで、ロンドン五輪の切符をつかみ取るのは大変だったのでは?

卓球は台を囲んだら年齢など関係ない競技です。私の想像を超えるスピードで成長してくる若手が多い中で戦うのは、必死でした。また、この20年で卓球のルールや道具の規格がどんどん変化していった中で、順応力が高い若手に対して、私はそれにアジャストしていくのが難しかったですね。
北京五輪が終わって、ルール改正そして自分の卓球を大きく変えるために用具などを見直したこともありましたが、調子を崩して成績が落ちてしまったこともありました。ただ、ロンドン五輪では、何としてでもメダルを獲得するという気持ちを持ち続けて練習に取り組み、シングルの出場権は獲得できなかったものの、団体戦での出場権を勝ち取りました。何より、全日本女子チームとしても、メダルを獲得するためには絶対勝たなければいけない相手である、アジア圏のチームの技術を徹底的に分析して、かなり細かく強化し対策を立てました。そんなチームとしての準備が、福原愛さんや石川佳純選手と一緒に大舞台で銀メダルを獲得できた大きな要因だと思います。
2016年のリオデジャネイロ五輪への出場も目指されます。
さらに若手たちが成長する中で、伊藤美誠選手(リオ五輪団体銅メダリスト)の成長スピードがすさまじく、たった1年で世界ランキングを抜かされました。そして2015年9月の代表選考会で、私は五輪の切符をつかめませんでした。さすがに気持ちの整理がつかなかったですね。東京五輪を目指すとしても、2020年の私は35歳。当時、故障で自分の支えだった練習が思うようにできなくなって、心身のバランスが崩れていきました。2016年1月の全日本卓球選手権が終わって、改めて、リオよりも東京五輪の方が出場できる可能性は低いと感じ、引退を決意しました。
好きなものを食べて、1日6時間以上練習する
引退後、どのような精神状態になったのでしょうか。
母が心配していたんです。現役時代の私はオン・オフの切り替えが苦手で、常にオン状態でした。競技のことが頭から離れる時間がなかったんですね。だから、「この子、引退したら抜け殻みたいになるんじゃないかしら」と思われていたみたいで。セカンドキャリアなんて全く考えていませんでしたし、白紙状態だったので、のんびりしたいなと思っていました。でも結局、自動車の免許を取りにいきながら卓球の指導をして、流れに身を任せていたらイベントや解説のお仕事が舞い込んできて、結局せわしなく今も働いています(笑)。
現役時代は理論派だった私に対して、たくさんのコーチの方々が色々な指導方法で強化してくださいました。面白いことに、同じ一つの技術を教える場合であっても十人十色、それぞれ表現や指導方法が変わります。現役の時に多くの方から教えていただいた指導方法や伝え方が、現在の私の仕事にとても役に立っていて、解説や指導時に生かされていると感じています。
体のコンディショニングづくりでも、理論的に考えて実践されていたのでしょうか。
実は、結構アバウトでしたね(笑)。栄養やコンディショニングづくりなどの知識は頭に入れています。栄養バランスがいい食事を取ることは努力していましたが、「この栄養素が足りない」「これは食べてはいけない」「体重を常に気にする」などという節制やコントロールを細かくすることはあまりしませんでした。食べたいものは食べるし、体重の変動もさほど気にしませんでした。
引退前は故障もあったので、もうすこし体重のコントロールができていればよかったかなと思いますが、それよりも、食べ物を節制することで、ストレスを感じたくはなかった。多少食べ過ぎても、1日6時間以上のミキハウスの厳しいトレーニングをすれば体重は自然に落ちるよ、という意識がありましたね(笑)。
(第3回に続く)
(写真 厚地健太郎)
◆元五輪卓球メダリストに聞く
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ロンドン五輪卓球女子団体銀メダリスト
