福島千里さん 陸上人生をかけた挑戦でつかんだ新記録
元陸上競技女子短距離トップアスリート・福島千里さんに聞く(2)
高島三幸=ライター
冬季にスピード練習を続けることで、ケガに対する怖さはなかったですか?
もちろん、ケガのリスクもありますが、スピードに耐え得る筋力をつける本格的な筋トレを続けてきました。スピード練習は筋肉に大きな刺激が入るいいトレーニングです。通常だと、レースに向けて少しずつ練習量を落としながら調整していくので、筋力が落ちます。でも冬季も練習量を落とすことなくスピード練習を続けてきたので、14年から年々筋力アップしていきました。ケガしない体を作ることができれば、メリットしかないかと思います。
本格的なウエートトレーニングは?
それまでも筋トレはやっていたんです。でも全く知識のない中でやっていました。それを、プロフェッショナルのトレーナーの力を借りて、知識を頭に入れてから筋トレをするようになりました。この筋肉をこう動かすから鍛えられるなど、知識をきちんとインプットすると、筋トレの質が一気に上がったように思います。迷うところや自分の考えが行き届かないところを助けてもらえるトレーナーの存在は、練習の質を上げ、厳しい練習を継続する上でも非常にありがたかったです。

厳しい筋トレ、スピード練習を継続する上で、体のケアはどうされていたのでしょうか。
体の状態を見ながらマッサージなどをしてくれるトレーナーによるサポートは、ケガを防ぐ上で大きかったと思います。また、ケガをする前は、「足が張っている」「疲れが取れにくい」などのサインが出ているはずなんです。そのサインを見逃さないように意識することも大事だと思います。
五輪後に環境を大きく変えた理由
17年に北海道ハイテクACを退職され、長年指導してもらっていた中村監督とも別れて、18年に上京するという大きな決断をされます。セイコーホールディングスに所属し、環境を大きく変えるという決断に至った理由について教えてください。
16年に3大会連続で出場したリオ五輪は、私にとって次の東京五輪を目指すための大会ではなく、陸上人生をかけてやり尽くした大会でした。しかし、米国のニュージャージー州での合宿中に左太もも裏を負傷し、結果的に100mを欠場し、専念した200mでは23秒21で準決勝進出ができなかった。満足できなかったからこそ、東京五輪を目指すことになりましたが、17年のシーズンは序盤から足のけいれんに苦しみ、日本選手権100mで2位、200mで5位になるなど負けっぱなしだったんです。その当時の環境では次の一手が見いだせなかったので、モチベーションを上げるために思い切って環境を変えることにしました。
チャレンジという意味での環境の変化ですか。
そうですね。もっと知恵を絞り出せれば、環境を変えなくても良かったのかもしれません。でも当時は、最善を尽くしてリオ五輪に臨んだので、もう次の一手が見つからなかったんです。続けるならモチベーションを維持するために違う環境で挑戦するという選択肢か、引退するかの二択でした。
次の一手とは、練習メニューや戦略のことですか?
そうです。10年から16年のリオ五輪まで、中村監督に意見をもらいながら、自分で練習メニューを考えてトレーニングをしていたんです。でもリオ五輪が終わって、かなり疲れてしまって…。心機一転するためにも、神奈川県内に拠点を置き、仲田健トレーナーの指導の下、同じチームに所属する山縣亮太選手(100m東京五輪代表)と一緒に練習することにしました。それまでから一変して人から与えられたメニューをやることで、メニューを考えるためのエネルギーを、走ることへ注ぐといったイメージでしょうか。
みんなとても優しかったし、新しい仲間との練習は新鮮でした。山縣選手の集中力や切り替え力は素晴らしかったです。「練習、いやだな」など人間味があることを言いながらも、いざ練習になればやることはきちんとやる。鋭い感覚を持っているので、一度得た感覚やビデオで走るフォームを見ながら再現できる素晴らしい選手です。私もよく感覚派だと言われるのですが、どちらかといえば理論派だと思うんですけどね。
(最終回に続く)
(写真:厚地健太郎/ヘアメーク:高柳尚子)
元陸上競技女子短距離トップアスリート・福島千里さんに聞く 第1回 福島千里さん 日本記録が出ても世界から見ると挑戦者 第2回 福島千里さん 陸上人生をかけた挑戦でつかんだ新記録 第3回 福島千里さん 陸上って何? 分からないから面白い元陸上競技選手
