「足が壊れるまで」を貫いた マラソン野口みずきさん
元五輪女子マラソンメダリストに聞く(3)
高島三幸=ライター

「走った距離は裏切らない」を信じ続けた
私のモットーは「走った距離は裏切らない」。サインするときに一緒に書く言葉です。08年の北京五輪を欠場した後、いただいた手紙の中に、「あなたは走った距離は裏切らないと言っていたが、裏切られたではないか」と書いてありました。このときばかりは、心にずしんと重しがのしかかった気持ちになりました。
モスクワ世界陸上選手権では、熱中症で途中棄権に終わってしまいますが、約10年ぶりに世界の舞台に立てたことは、長期間頑張ったリバビリとトレーニングはやっぱり裏切らないと思えることができた結果であり、この言葉が間違いではないと少しは分かってもらえたかなと。
思ったような結果が残せない中で、レース後はいつも「ここは良かった」「ここまで達成できた」という前向きなコメントが印象的でした。ポジティブな発言ができたのはなぜですか?
失業をして走っていた時から(「マラソン野口みずきさん 失業の中で育んだプロ意識」を参照)一段一段、階段を上るように努力を積み重ね、アテネ五輪の金メダルをつかみ取りました。それと同じように、思うような結果ではなかったとしても、レースの中で少しでも成長した部分があれば、そこに視点を向けて、一段一段上っているんだと成長を感じたかったのかもしれません。心も成長させて前向きに何度でも立ち上がろうと。
年齢が上がることでトレーニング内容は変えていたのでしょうか。
ある程度、変えていったと思うのですが、やはり若い頃の成功体験というか、これだけ走らないと記録は出せないという、自分の中でのデータがありました。そのデータに基づいて練習をしたいというこだわりもありました。
引退直前は、広瀬コーチが考える練習量をこなせなかったので、ある程度、練習メニューは私に託してもらっていました。過去のデータから考えると、これだけ走りこまないとこのタイムは出せないと考えてしまいます。でもそんなに走りこんでは足の痛みが出てしまう。やれるかもしれないけど、どうしよう……という葛藤が常にありました。練習メニューを組み立てることが本当に難しかったですね。そんな自分のこだわりをなくして、年齢と向きあったトレーニングが素直にできていたら、また結果が変わったのかもしれません。
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