日経グッデイ

がんになって気付いたこと

乳がん患者2人が緩和ケアの冊子を作ったわけ

前田典子さん、池谷光江さん「患者でなければ、書けないことがある」

 前田典子、池谷光江=乳がん患者

診断に至るまでの経過、治療法、病気の状態など、がんのエピソードは人それぞれ。がんと向き合った人々がその経験から「気付いたこと」は、今を生きる私たちが忘れてしまいがちな発見や希望に満ちています。自身も肺がん患者である、日経BP社の山岡鉄也が、がんと向き合った人々に話を聞き、「気付いたこと」について触れていきます。

小冊子『がん患者のための緩和ケアの受け方』
医師とのコミュニケーションの取り方や痛みの伝え方、自分に合った緩和ケアの探し方などが、がん患者の視点から分かりやすくまとめられている。

 乳がんに罹患した前田典子さんと池谷光江さんは共同で、がん患者の立場から知っておくべき緩和ケアの知識をまとめた小冊子『がん患者のための緩和ケアの受け方』を作成しました。そのいきさつと、がんの経験や小冊子作成に当たって気付いたことをうかがいました。

最初に、お二人が緩和ケアについて小冊子を作った経緯を聞かせてください。

前田 私は2007年に乳がんになって手術をしました。ちょうど退職した年でした。それまで仕事一筋だったので、「リタイアした後はどうしよう。何か趣味でも見つけなきゃ」と思っていたんです。否応なくがんと正面から向き合うことになり、前にも増して生きるモチベーションが上がってくるのを感じました。

課題が与えられたという感じでしょうか。

前田典子さん
2007年に乳がんを発症。2009年に肺転移が発覚し、現在は抗がん剤による化学療法を受けている。

前田 そうですね。「やるべきことができた」という感覚です。そこで、「身体にいいことをしよう」「スケジュールにこだわらないようにしよう」という具合に、仕事が現役だった時代とは真逆の、自分にやさしい生活を心がけるようになりました。

 2009年にがんが再発すると、“人生のしまい方”について考えるようになりました。そうしたら、ちょっと疑問に思うことが出てきたんです。

疑問とはどんなことですか。

前田 あけぼの会という患者会でがんの友達がたくさんできたのですが、多くの人が亡くなる直前まで、きつい副作用に耐えながら、抗がん剤治療を続けています。もちろん、最後まで希望を捨てずにがんと闘うことをその人が望んだのであれば、尊重するべきだと思います。ただ、どうして多くの人が最後まで抗がん剤治療をしているのか、私にはふに落ちませんでした。

自分自身が調べたことをほかの人にも役立てたい

前田さんなら、違う選択をするということですか。

前田 そうですね。自分なら「最期は、緩和ケア病棟で穏やかに過ごしたい」と考えています。できれば、自然が豊かで環境のよいところ…。ところが、本当に素晴らしい主治医のいる今の病院には緩和ケア病棟がありません。病院の患者会で、先輩から「治療を止めたら、がん難民(*1)になるわよ」と言われて、真剣に他の病院の緩和ケア病棟に入る準備をしなくてはと思うようになりました。

 しかも、私はいわゆる“おひとり様”なので、あらかじめ準備しておかなければならないことがあります。そうやって先のことを考えて、さまざまなことを調べていくうちに、ほかの人にも役立つように、調べたことを小冊子にまとめようと思いつきました。一人で作るのはさすがに難しいため、池谷さんに声をかけたのです。

*1 “がん難民”とは、適切な治療を受ける病院が見つからない患者のこと。

相談を受けた池谷さんはどのように思いましたか。

池谷光江さん
2000年に乳がんを発症。左の乳房にがんが見つかってから半年後には右の乳房にもがんが見つかる。

池谷 前田さんとは仕事の関係で知り合い、もう30年くらいの付き合いです。2014年の5月に「再発した人向けに、患者の立場で有用な情報を集めた小冊子を作りたい」と相談を受けました。

 私も乳がんの患者です。2000年に左の乳房にがんが見つかって、告知から手術まで1週間くらいしかなく、自分の判断というより、先生に言われるまま、乳房温存手術でしたが、その当時の標準治療ということで腋窩リンパ節郭清(*2)しました。

*2 リンパ廓清(かくせい)とは、脇の下のリンパ節を脂肪ごと取る手術のこと。

池谷 その半年後には、右の乳房にがんが見つかりました。が、リンパ節を残す手術法ができる別の病院を選びました。左も右も、同じような手術だったのに、状態が全然違うんです。左は15年以上経った今でも少し腕がむくむし、違和感が残っています。でも、右側は手術後1週間も経たないうちに普通の状態に戻ってしまいました。

 このときの体験から、患者が病気についてしっかりした情報を持っていないと、大変なことになるんだと思い知らされました。

 ほかの人にはこのような思いをしてほしくないいう意識から、その後ずっと、乳がん患者さんを支援する活動を続けてきました。その中で、乳がん患者さん向けの雑誌を作ったこともあったので、緩和ケアの小冊子作りもお手伝いできるだろうと考えました。

見ず知らずの先生に、手紙で協力を依頼

小冊子を作るにあたって、医療の専門的な情報は、どのように集められたのですか。

池谷 最初は、書籍や患者向けの講演で得た内容をもとに、構成していきました。でも、ある程度形ができてくると、素人が作ったものをそのまま配布していいのだろうかと、心配になってきました。しっかりとしたものを作るためには、やはり専門家である医師に内容をチェックしてもらいたくなりました。そこで、緩和ケア医として有名な余宮きのみ先生に手紙を書くことにしました。

どなたかが、紹介してくれたのですか。

前田 残念ながら、つては全くありませんでした。ただ、余宮先生はセミナーで患者目線の話をされていたので、「患者のためになることなら、引き受けてもらえるかもしれない」と直感したんです。

池谷 余宮先生からは、すぐに「とりあえず一度原稿を見せてください」と連絡をいただきました。原稿を送ったら、「これはとてもいいものだから、自分の専門分野はしっかり見ましょう」と言ってくださいました。それで、修正を加えながら、3回くらい読んでいただきました。医学的なところを、細かい言い回しまで、本当にしっかりと確認していただきました。

 ただ、余宮先生の専門外、例えば漢方は別の先生に、とお話がありました。そこで、前田さんが他にもいろいろな方に依頼してくださって、何人かの専門の先生に原稿を見ていただきました。

前田 漢方や鍼灸、アロマテラピーについては、それぞれ詳しい先生にお願いしました。漢方の先生は紹介はなかったのですが、快くチェックを引き受けてくださったことに感謝しています。

2人でこれだけのものをまとめるのは、大変だったでしょう。専門家に見ていただく他にも、どなたかに手伝ってもらったりしたのでしょうか。

山岡鉄也(日経BP 広告局プロデューサー)

前田 「体験者の声」は、私や池谷さんの友人にお願いして書いていただきました。

池谷 巻末に、がんの治療を受ける上で役に立つサイトの一覧のほか、47都道府県のがん診療連携拠点病院がん相談支援センターのリストを付けました。これらは、私の元の同僚にデータ化をお願いしました。それから、印刷後に冊子を広める作業は、本当に大勢の人が協力してくださいました。

前田 私の主治医の先生も協力してくれて、国立がん研究センター中央病院の相談支援センターに小冊子を置いていただくことになりました。そのおかげで、さまざまなところから引き合いがあって、大勢の方に読んでいただくことができました。

 冊子について主治医から「実際にがんを経験した患者さんだからこそ、書けることですね」と言っていただいきました。患者だから書けることもあるのだ、患者目線の小冊子を作って本当によかったと、うれしくなりました。

 患者の視点で企画した冊子『がん患者のための緩和ケアの受け方』を作り上げた前田典子さんと池谷光江さん。二人とも自身の経験を踏まえ、広くがん患者をサポートしたいという気持ちは同じでした。次回は、小冊子を作っていく過程で気付いたことを、さらに詳しく伺います。

(写真:清水真帆呂/文:梅方久仁子)

聞き手:山岡鉄也
日経BP 広告局プロデューサー
2010年、肺がん(ステージIV)と診断される。入院や通院での治療の後、復職。2012年4月から2016年3月まで国立がん研究センターの患者・市民パネルメンバー。自らの経験を生かして、がんと就労が両立できる社会を目指して、「がんと共に生きる」「がんと共に働く」をスローガンにその環境整備をライフワークにしている。