日経グッデイ

「怒り」との上手な付き合い方

脳科学から「怒り」のメカニズムに迫る! カチンと来ても6秒待つと怒りが鎮まるワケ

前頭葉は突如発生する「怒りの感情」にすぐに対応できない

 山口佐知子=ライター

 現代社会はストレスがいっぱいだ。物事が思い通りにいかないとつい怒ってしまい、後で怒った自分に落ち込む。「こんな悪いサイクルから脱したい」――そう思っている人は多いだろう。そこで特集では、「怒り」を上手にマネジメントする方法を紹介する。
 今回は、ヒトの体と脳の働きを研究している自然科学研究機構生理学研究所の教授で、医学博士の柿木隆介さんに、怒りと脳の関係について話を聞いていく。

「怒り」は脳でつくられる

「怒り」を感じたとき、脳の中では何が起こっているのだろうか。そのメカニズムを知り、脳科学の観点から怒りの感情を抑える方法を見ていこう (©PaylessImages -123rf)

 私たちが何かにイライラしたり、誰かにカチンときたりしたとき、「怒り」の感情が生まれるのは「脳」の中だ。

 怒りの感情とは、脳の中のどこでどのように発生するのだろうか。そしてその仕組みを知ることで、脳科学の観点から怒りをコントロールする方法は考えられないだろうか。特集の後半では、「怒りを感じたとき脳内では何が起こっているのか」のメカニズムを明らかにして、脳科学の観点から対処法を考えていく。

 「脳の仕組みと怒り発生のメカニズムを知ることで、怒りやイライラをを抑えやすくなります。脳科学の観点から、怒りを抑えたりコントロールするのに適した方法も見えてきます」

 そう話してくれたのは、ヒトの体と脳の働きを研究している自然科学研究機構生理学研究所の教授で、医学博士の柿木隆介さん。脳研究のトップランナーの1人で、『どうでもいいことで悩まない技術』(文響社)、『記憶力の脳科学』(大和書房)など脳科学の視点から日々の生活に役立つ手法を紹介した本も数多く手掛けている。

 「怒りやイライラ、ちょっとしたことで悩むといった感情に対して、『気の持ちようが大切!』といった精神論で語られがちですが、脳やカラダの仕組みから考え、その上でどう行動に移して、考え方を変えて行くべきかが大切です」

柿木隆介さん。自然科学研究機構 生理学研究所教授。日本内科学会認定医、日本神経学会専門医。専門は神経科学。著書に『どうでもいいことで悩まない技術』(文響社)、『記憶力の脳科学』(大和書房)など。
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 「人間の脳はとてもよくできていて、理由や理屈がわかると『納得できる』『安心できる」という冷静で知的な機能を持っています。そして、日々の習慣によって“クセ”が変わっていき、感情を揺さぶられるような出来事に対しても耐性がついていきます。つまり、トレーニングを積むことで、感情をある程度コントロールできるようになるのです」(柿木さん)

脳で怒りが発生するメカニズムとは?

 柿木さんによると、「私たちが怒っているときは、脳に変化が起きています。怒りの感情が生まれるとき、脳の大部分を占める大脳の中でも『大脳辺縁系』と呼ばれる部分が活発に動きます」という。

「怒り」は脳内の「大脳辺縁系」という感情や本能を司る部分で発生する。その感情を抑えるのが、理性を司る「前頭葉」だ。この前頭葉は、人間やサルのような高度な動物で発達した部位

 まずは、大脳の構造を簡単におさらいしよう。大脳は、大きく分けると「大脳新皮質」「大脳辺縁系」「脳幹」という3つの構造で構成されていて、それぞれに役割がある。表面部分にある大脳新皮質では、思考や判断といった、私たちがよりよく生きるための「知性」に関することを司る。大脳の内側にある大脳辺縁系では、意欲や情緒といった、私たちの本能に近い「感情」に関することを司る。脳と脊髄を結ぶ脳幹では、「生命維持」に関することを司る。怒りの感情が生じるときに関わるのは、大脳新皮質と大脳辺縁系という2つの場所だ。

 さらに詳しく見てみよう。柿木さんは、「怒りをはじめ、不安や恐怖といった、いわゆる「情動」と呼ばれる感情が起きているときは、大脳辺縁系が活発に動くことがわかっています」と話す。大脳辺縁系は、サルや犬、うさぎやトカゲのような動物も共通して持っている原始的な部位で、人間を含めたそれぞれの動物の本能的な行動や感情に関わっている。たとえば、「怖そうな敵が現れた。不安だから逃げよう」「自分の縄張りを侵す者がいる。戦いを挑もう」といったときには、大脳辺縁系が活性化していることになる。

 一方、怒りなどのさまざまな感情をコントロールする機能や理性的な判断、論理的な思考やコミュニケーションといったことを行うのが、大脳新皮質のなかにある「前頭葉」と呼ばれる場所。前頭葉は、人間やサルのような高度な動物で発達した部位だ。たとえば、「ホラー映画を観て恐怖を感じても、パニック状態にならずに済む」「膨大な仕事量を前にして不安になっても、『目の前のことからコツコツやっていけばいつかは終わる』と思い直せる」などと、感情的な状態から冷静さを取り戻すことができるのは、前頭葉がよく働くせいだと考えられている。

 つまり、怒りの感情は、「大脳辺縁系で生じ、それを前頭葉で抑える」という構図となっている。この2つの部位の働きによって、怒りの感情は引き起こされたり抑制されたりしているのだ。

「怒り」は、人類が生き残るための本能だった

 柿木さんは、「人間が怒りの感情を持つのは当然のことなのです」と話す。

 「怒りという感情は、目の前の敵に対して、襲いかかるか逃げるかをカラダに実行させるために発生するものです。つまり、生存するためには欠かせないものなのです。怒りの発生自体を防ぐことはできません」(柿木さん)。地球の長い歴史のなかで、人間が敵から身を守り、淘汰されずに生き延びるためには、大脳辺縁系に生じる怒りの感情は不可欠なものだったのだ。

 ところが文明が発達するにつれ、そうした本能に近い感情を抑えることが必要になりはじめた。現代の私たちの生活においても、「怒りたいことがあっても、仕事で成果を出すためには我慢しよう」「顔を合わせたくない相手だけれど、人間関係でトラブルを起こさないためにも会うしかない」というように、感情をコントロールしなくてはならない状況が増えている。

 つまり、私たちの脳は、もともと備わっている「怒り」を、「理性」や「知性」で抑える働きをしている。生きていくために必要な感情を、人間らしく生きるためにコントロールしているという状態なのだ。

前頭葉は怒りにすぐに対応できない!

 怒りという感情が発生するのは自然なことで、それ自体を防ぐことは難しいということはわかった。その一方で、感情をコントロールする部位である前頭葉が怒りの感情をコントロールしている。では、実際に私たちが怒りの感情を持ったとき、脳科学の観点から見ると、どのようなアプローチができるのだろうか。

 「前頭葉は常に感情をコントロールする役割を果たしているのですが、実は、突発的に発生する怒りの感情には、すぐに対応できないのです。急には対応することはできないものの、実は『少し我慢している』と活動を始める、つまり、怒りの発生と理性の発動には時間的なズレがあるのです。ですから『ちょっと待つ』ことが、怒りを抑える最大のポイントになるのです」(柿木さん)

 では、前頭葉が動き出して、怒りを抑えるのにどのくらいの時間がかかるのだろうか。

 柿木さんによると、「科学的に明確に定義することはできないのですが、前頭葉が本格的に働きはじめるまでにかかる時間は3~5秒程度と考えられます」という。前回の記事で、とっさの怒りを鎮める対処方法に「6秒待つ」という方法を紹介したが、これには「脳のメカニズム」が関係していたわけだ。

 衝動に任せて怒ると取り返しのつかなくなる言動を誘発してしまうことは多いもの。それを防ぐためにも、カチンとくる出来事があっても「6秒間は待つ」姿勢が大切なわけだ。「『イラッ』『ムカッ』としたときは、まずは6秒待ちましょう。前頭葉が自然に活性化するまでの間、うまく時間稼ぎをしよう、というアプローチです」(柿木さん)

怒りを感じてもすぐに言葉や態度に出さない

 では、実際に前頭葉が活性しはじめるまでの6秒間、どのようなことをして“時間稼ぎ”をしたらいいのだろうか。前回紹介したように実際に数字をカウントして待つ手もあるだろう。柿木さんに、怒りに火がつきそうになった場合、無理なく簡単にできて効果がある方法をいくつか紹介してもらった。

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 いずれもすぐ試せる簡単なものばかりだ。怒りを感じてもすぐに言葉や態度に出さないことがポイント。相手がいる場合、「納得できません」「それは違うと思います」といった反論をしないことはもちろん、「ムカつく」「腹が立つな」といった独り言や舌打ちなども控える。小さな怒りがきっかけで大きなトラブルに発展する事態になりかねない。前頭葉が活発に動き出すまでの6秒間は、相手の機嫌を損ねない、これらのアクションにとどめておこう。

 柿木さんは「最近の脳科学研究では、怒りなどのネガティブな感情は、他のことに意識を向けると軽くなることが明らかになっています。つまり、大切なのは怒りから意識を遠ざける努力をすることです。例えば、相手にわからないように、自分の手や足をつねって、痛覚を刺激するといったことをするだけでも効果があります」とアドバイスする。

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 8月2日公開の後編では、人間の脳で分泌される神経伝達物質や脳内ホルモンなどの「脳内物質」の観点から、「怒り」の対処法を探っていく。

柿木隆介(かきぎ・りゅうすけ)さん
自然科学研究機構 生理学研究所教授
柿木隆介(かきぎ・りゅうすけ)さん 1978年、九州大学医学部卒業後、同大学医学部付属病院(内科、神経内科)、佐賀医科大学内科に勤務。1983~85年、ロンドン大学医学部留学、1993年より岡崎国立共同研究機構生理学研究所(現、自然科学研究機構)教授。日本内科学会認定医、日本神経学会専門医。専門は神経科学。著書に『どうでもいいことで悩まない技術』(文響社)、『記憶力の脳科学』(大和書房)など。