「男の役割」「女の役割」にとらわれている限り、生きづらさは続く
アナキズム研究の政治学者 栗原康さんに聞く「生きづらさからの脱却」【1】
森脇早絵=フリーライター
よろしかったら、そのときのことを教えていただけますか。
栗原 前の彼女と付き合っていたころ、僕は年収10万円くらいしかなかったんです。前期に1コマだけ大学の非常勤講師の仕事を持ち、あとはずっと家にいて。
東日本大震災の前後から付き合い始めて、ちょうど相手が30歳だったので、結婚を前提に考えていました。
最初は、彼女は公務員でお金を稼いでいるから、僕は家事をやればいいかと思っていたんです。最近は「それでもいいよ」と言ってくれる女性も増えていると思いますが、彼女はそうじゃなくて。
彼女は伝統的な家庭観を持っていた人で、私も今は働くけれど、女性の喜びとは、いつでも家庭に入ることができて、子どもといつも一緒にいられることだと。だから、「いつでも私がそうなれるように、あなたにも働いてほしい」と言われました。
そう言われて、どうされたんですか?
僕は当初、博士課程で博士論文を出せば、大学で就職する道が開けると考えていました。それで頑張って書いたりしていたんですが、うまくいかなくて。
すると彼女は「じゃあ、就職するよね。毎日外に出て、働いている体(てい)だけでも見せてほしい。コンビニのバイトでもいいから、週5日はやってくれないか」と僕に言う。コンビニのバイトは、それはそれで大変な仕事だとは思いますけど、僕のやりたいことでは全くないですからね。
それで生まれて初めて就活をして、予備校講師の仕事を見つけて、週2日やるようになりました。でも、彼女に言うと「それは働いているうちに入らない」と。
僕は、どうしても文章を書きたかったので、そのための時間を作りたかった。でも、世間一般からすると、そういうのは仕事に入らないんですね。
彼女にも「何遊んでるの」と毎日1時間くらい電話で説教されました。僕は、「すみません、すみません」とひたすら謝って。たまに、あまりにも言われすぎて気持ち悪くなって、ゲーって吐いた時もあったりして(笑)
結局うまくいかなくなって、最後は地元の動物園の近くに呼び出されて、婚約指輪を返されました。ここで完全にふられたわけです。
僕なりに努力はしてみたけれど、やっぱりうまくいかないなと。ふられて残念だと思っているときに、『現代思想』(青土社)という雑誌から、「『婚活のリアル』という特集で書いてみませんか」というお話をいただき、やってやるぜ!とお引き受けしたんです。
そこで伊藤野枝の本を読み返しました。改めて、家庭にはいると、女性も男性も、どうしても奴隷的な役割を引き受けてしまうんだという文章を読んで、「これは100年前の文章だけど、今も同じ事が起きているんだな」と思いました。
本当は、元彼女自身も生きづらいかもしれませんよね。働きながら、女性としての役割も引き受けようとしているんだから。
人に、「自分がそういう役割を積極的にやることが正しい」と思わせて、引き受けさせることが、いまだに根強いんだと自覚しました。
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