「男の役割」「女の役割」にとらわれている限り、生きづらさは続く
アナキズム研究の政治学者 栗原康さんに聞く「生きづらさからの脱却」【1】
森脇早絵=フリーライター
ベッキーはなぜあそこまで叩かれたのか
すごい叩かれようでしたね。個人的には、なぜあそこまでベッキーさんが叩かれなきゃいけないんだと思いましたが。
栗原 浮気をしたら、当人同士でけんかをするのはいいと思うんですけど、人が誰かを好きになる尺度って、始めから決まっているわけではないですからね。本来、誰がどんな人をどう好きになろうと自由です。あとは一人ひとりが真剣に付き合っていけばいいだけの話ですからね。
特に家庭問題では、酷い目に遭うのは女性の方が多い。不倫なんか典型的な例です。
これは『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』(岩波書店) にも書いたのですが、大正時代のアナキスト、伊藤野枝は、「家庭をつくると、男が主人となる。女や子どもは、主人に従う。だから、女や子どもは財産に過ぎないんだ」と言っています。
要するに、「家庭の起源は、『奴隷制』なんじゃないか」ということですね。人が人をモノや財産として扱うのは、奴隷制ですから。
例えば、明治期から戦後すぐまでは「姦通罪」(*)がありました。女性が浮気をすると罪になったのです。なんでかというと、それは男の財産を、所有権を侵害する行為だったからです。古代だったら、奴隷が逃げたら拷問を受けたり、場合によっては殺されますよね。姦通罪はもうなくなりましたが、今でも女は男の持ち物である、だから貞操を守れという発想は習俗として残っている。だからこそ、ベッキーのように女性のほうが、やたらと強く叩かれてしまうんだと思います。
身をもって知った「男=仕事、女=家庭」の固定観念の根深さ
著書『はたらかないで、たらふく食べたい』に、栗原さんご自身も、男性と女性の役割について悩んだ経験があると書かれていましたね。
栗原 ええ、もともと結婚制度に否定的な考えは持っていたんですが、前の彼女と付き合っていた時は「まぁ、頭では分かっているし、結婚してもそんな役割になんかに縛られずにやっていけるだろう」くらいに思っていたんです。でも、付き合い始めて、いざ結婚の話が出始めた頃から全然うまくいかなくなって(笑)
伊藤野枝も言っていますが、家庭の「役割」を意識し始めると、そこに誇りのようなものを持ち始めるわけです。女性は家庭を守ることに誇りを持つようになる。男性もそうですよね。金を稼いで家に持ってくることに誇りを持つようになる。
女性が男を支えて、家を守ることに自ら積極的にのめりこむようになってしまう。伊藤野枝は、それを「女の奴隷根性」だと言っています。自らその役割を引き受けてしまうと。
前々から「確かにそうだな」と思ってはいたんですが、実際に自分も女性と結婚してみようと思ったときに、本当にそれに直面しましたね。
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