「男の役割」「女の役割」にとらわれている限り、生きづらさは続く
アナキズム研究の政治学者 栗原康さんに聞く「生きづらさからの脱却」【1】
森脇早絵=フリーライター
あなたが女性だとして、夫に「働かないで、たらふく食べたい」と言われたらどう思うだろうか。「何言ってんだ、働かなきゃ家族を養えないじゃないか!」「男が働かないなんてあり得ない」と、多くの人は言うかもしれない。しかし、そんな考え方自体が自分を苦しめているのだとしたら、人はいつになったら楽に生きられるのだろうか。
終わりの見えない生きづらさからの脱し方について、『はたらかないで、たらふく食べたい』(タバブックス)、『現代暴力論』(角川新書)の著者であり、大杉栄や伊藤野枝らのアナキズム思想を研究する政治学者・栗原康さんに3回にわたってお話を伺う。第1回のテーマは「家庭での息苦しさ」だ。
「日本死ね」発言がバッシングの対象となった理由
まず最初に根本的なところをお聞きしたいと思いますが、なぜ、日本の社会は閉塞感が強いのでしょうか? 人が自由に振る舞えない原因、息苦しさの根本はどこにあるとお考えでしょうか。
栗原 少し前に、「日本死ね」(*)という言葉が話題になりましたよね。それに対して、一部の評論家たちは「そんなにこの国に文句を言うなら、日本から出て行け」とか、「韓国でも中国でも行け」とバッシングしました。
そんなバッシング発言が出てくるのは、結局、「日本は一つになれる」と考えているからだと思うんです。みんなで一つのことを決めて、一度決めたらそれに従わなければならないというイメージを持ってしまっている。
例えば、今の政府に対して「ひどい」と思う人がいても、選挙で選ばれた人たちが決めた政策なんだから、従わなければならないと。もしそれを変えようとするならば、選挙で自民党以外の政党に勝たせてから議論しなければならない、と思わされているわけです。
でも、何かを変えるためには、まずは「それはおかしい」と言わなければなりません。「日本という社会がそもそもおかしいんだ」という声を上げる。一つのことを決められてしまうことに対して、「ふざけんじゃねえ」とはっきり言うことが必要だと思います。
みんなで一つのことを決めなくてはいけない、それを決める手続きが選挙だと言われていて、その手順を踏もうとしていなかったから、今回の「日本死ね」がバッシングされたのかなと思います。
僕は、基本的に何か一つのことに従わされるとか、みんなが一つなんだということは、「幻想」だと思っています。
そういう意味では、日本人は一つの標語でくくられやすい国民性があると指摘されていますよね。戦時中の「一億玉砕」や、戦後でも「単一民族」という言い方もあったし、最近も「一億総活躍社会」というスローガンが出てきましたが…。
栗原 もちろん日本だけではなくて、どの国でもそうだとは思いますけどね。自分たちは一つの集団だということを、日常生活の中からずっと植え付けられている。社会が人に、そう生きざるを得なくさせているということが大きいと思います。
例えば、家庭も一つの集団です。「人間は、基本的に家庭を築いて生きていくものだ。一つの集団としてまとまって生きていくものだ」という前提のもとで作られ、こうあるべきだというイメージが決まっています。
伝統的には、男性は働いてお金を稼いでくるもの。女性は家を守り、男性を補助するものだとか。子どもは家庭の財産だから、生んで育てるとか。
結局、家庭という一つのまとまりをつくったら、財産をいかに蓄積していくかという課題が生まれ、そのために男性も女性も役割をこなしていかなければならない。そういったことを、ずっとやらされているのかなと感じます。
だから、家庭を乱すようなことをやると、むちゃくちゃ叩かれるんです。ちょっと前に話題になった、芸能人の不倫問題とかもそうですよね。
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