「これ、健康に悪い…」その反省が病気を招く?
第3回 疲労と疲労感は別物。疲労感の軽減を考えよう
亀田圭一=コンディショニングトレーナー、BODY TIPS代表
疲労には2つの種類がある
「疲れた」が口ぐせの人が増えているようです。私の周囲でも、「最近、疲れがなかなか抜けなくてカラダがだるい、重い、痛い」という声をよく聞くようになりました。そして、その次に出てくるのが、「年なのかなあ?」「運動不足かな?」というセリフです。
はたして、疲労の原因は加齢なのでしょうか、それとも運動不足なのでしょうか? 加齢ならば疲れをとるのは難しいですし、運動不足ならば運動をすれば解消できるはずです。
その問題について考えるには、まず「疲労とは何か」について考える必要があります。
そこで間違えてはいけないのは、「疲労」と「疲労感」は別のものだと区別しなければいけないということです。
わかりやすくいうと、「疲労」は肉体的な疲れのこと。それに対して、「疲労感」は「疲れたなあ」と感じる精神的な疲れといえばよいでしょう。
「疲労感」というものは主観的
疲労は客観的に測ることができます。アスリートならばパフォーマンスの低下として、目に見える形となって運動データとして示され、わかりやすい症状です。一般の労働においても、疲労によって作業効率が落ちてくれば、自他ともに認識できます。
片や、疲労感のほうはどうでしょうか? アスリートなら、長丁場の試合を終えた後、不思議と疲労を感じず、もう1試合くらい平気でこなせると思えるような時があります。そんな時、選手のカラダをチェックすれば、何かしらの生理学的疲労を示す数値データが現われるはずです。しかし、本人はそれをカラダで感じていないので、この場合、疲労感はないことになります。
その逆のパターンもよく見受けられます。例えば、仕事でとても苦手としている上司と丸一日行動をともにしなければならなくなった時、一日はとても長く感じられ、終わった後はカラダのみならず心までぐったりとし、心身ともに疲労困憊ということになります。
ここにはカラダの生理学的疲労以上に、心で感じる疲労が強い状態です。つまり、「疲労感」というものは主観的であって、実際の疲労とは異なることがあるのです。
肉体的な疲労は扱いが簡単です。酷使した筋肉のバランスを整えたり、カラダを休めたりすればよいのです。
それに対して、現代人がよく考えて対処すべきなのは精神的な疲労です。精神的な疲労は、近年になって社会が複雑化したりIT機器を扱う機会が多くなったりしたために、急激に比重が高まってきました。その変化があまりに急だったために、誰もそれにうまく対処できていないのが現実だと思います。
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- 「疲れやすい」は、必ずしも老化ではない