「これ、健康に悪い…」その反省が病気を招く?
第3回 疲労と疲労感は別物。疲労感の軽減を考えよう
亀田圭一=コンディショニングトレーナー、BODY TIPS代表
「疲れやすい」は、必ずしも老化ではない
疲労と疲労感を区別して考えれば、「疲れやすい」という状態は、必ずしも老化が原因ではないことがおわかりでしょう。
もちろん、ある程度の年齢になれば、誰でも肉体的な衰えは生じますが、それはあくまでも単純な「疲労」─基本的には肉体的な疲労です。その対策としては、症状に応じた運動や食事の摂り方、睡眠などの休息の仕方に工夫を凝らし、積み重ねていくことが正しい方法です。
しかし、「疲労感」は、カラダを動かしたわけでもないのに襲ってきます。ですから、また異なる対策が必要になってくるのです。
なぜなら、「疲労感」は、脳の働きと深く関係しているからです。さらにいえば、人間の「欲」とかかわっているのではないかと、私は思うようになりました。
この疲労感は、カラダが感じているというよりは、カラダの一部である脳の前頭前野と呼ばれるエリアがかかわっているとされています。
前頭前野といえば、アルツハイマー病に代表される認知症の文字が頭に浮かんできます。以前に見たテレビの科学番組で、アルツハイマー病は25年かけて発症すると知った時、衝撃を受けたことを思い出しました。脳内にアミロイドβという物質が25年かけて沈着し、徐々に脳が萎縮していくのだそうです。
だとすると、およそ40代に入った頃には、こうした変性が私たちの脳に起こり始めている可能性が高いことになります。
私の近しい人にも認知症の方がいらっしゃるのですが、進行するにつれ、「欲」がなくなっていく傾向を感じます。もしかすると、欲が小さくなっていくことが、なかなか抜けない疲労感の正体かもしれないと考えたりもします。
疲労感は年齢と歩調を合わせて現われるがゆえに、先ほどの言葉、「年ですかねぇ?」につながっているのではないかと考えます。もっともこの話にはまったくエビデンスはなく、私の個人的推察に過ぎません。自分の身の周りにある事象から考えると、そのように思います。
「疲労感」は最小限にとどめることができる
確かに、「年をとれば欲がなくなる」、そして次に「疲労感が増す」と考えれば、疲労感もまた広い意味で加齢と深く関係しているのではないかといわれるかもしれません。
しかし、「疲労」が加齢によって避けられないのにくらべると、「疲労感」のほうはそれを最小限にとどめることができるかもしれません。「欲」をなくさなければよいというのが、私の考え方です。この「欲」は、「好奇心」や「ものごとに対する興味」ということばに置き換えるとわかりやすいかもしれません。
たとえば、会社の上司とのミーティングでは30分でくたくたに疲れてしまうことがあっても、気の合う友人たちや心ときめく異性とは何時間話していても疲労感を覚えません。また、同じようにパソコンに向かっていても、人にやらされている仕事ではすぐに疲労を感じてしまうのに、旅行の予約や趣味の調べものでは疲れることがありません。
これが、まさに「欲」が疲労感を左右している証拠ではないでしょうか。もし「欲」をほとんどなくしてしまえば、たとえ親友や素敵な異性と会っていても、すぐに疲れてしまうことでしょう。
人間はいくつになってもやりたいこと、手に入れたいものなどがあった方がよいと思います。
「いい年をしてこんなことやると可笑しいかな?」とか、「こんな服を着て歩いたら笑われるかな?」などと考えて自分を抑えるのはやめましょう。
そういうことの連続がひとつずつ「欲」を失っていくことにつながるのではないかと思います。人間は死ぬまでやりたいことをして生きたいものです。いい年を迎えたオッサンとして、心底そう思う今日この頃です。
もちろん、疲労感の多い少ないには、栄養や適度な運動も深くかかわっていることは確かです。カラダと心は深くつながっているのですから、それは当然です。ただそれに加えて、「欲」という存在が、いかに大切なものであるかをわかっていただきたいのです。
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