学生時代の遠泳部の経験がなければ今、ここにはいなかった【東京海上HD永野会長】
第2回 遠泳部の合宿を中心とした活動で体力と社会性を養った
永野毅=東京海上ホールディングス
自然を相手にするには、体力と危険を事前回避する知識が必要
海で泳ぐということは、自然を相手にするのですから危険も伴います。何かあった時のために、サポート用の船も何隻も必要です。それをクラブが自前で持っていたんです。寒い時期は泳げませんから、冬は船の整備や船体のコーティング、それにアルバイトして部費を稼いだりしていました。合宿を中心に、そんな生活を7年間通した学生時代でした。

合宿中は毎日10km以上は泳いでいました。プールではそこまで泳がないんですが、海に出ると午前中に3km、午後に5kmプラスアルファという感じです。また、山登りと同じように目標を決めて、新しい挑戦をしたりするんです。大学4年の時には部としても初めての本格的横断遠泳である、“下田→大島遠泳”を成功させました。その後はさらに距離の長い大島から千葉の館山まで遠泳に挑んだり、どんどん新しいチャレンジをしてきました。この伝統は今でも後輩たちに脈々と受け継がれています。
遠泳で10km、20km泳ぐには、30kmは泳げる体力がないといけません。それに夏とは言っても長時間泳ぐと体が冷えてくるので、寒さに耐えうる体も必要です。ですから、海で泳ぐ人は、プール競技の選手よりも体脂肪が多い、肉付きがいい体をしているんです。あとこれはなかなか鍛えられないのですが、大きなうねりの中を泳ぐと、船酔いと同じように、波酔いという状態に陥ることがあります。それに慣れていかないといけません。ですから、かなり体が総合的に鍛えられました。
海洋遠泳は自然を相手にするものです。毎日、短波放送の天気予報を聴いて気圧配置を知り、等圧線を記入していって天気図を作るんです。それによって、波と風を予測して、その日泳げるのか、危険はないかの予測を立てるんです。そういった気象に対する知識も身につきました。会社に入ってからの仕事と同じで、準備が大切なんです。
泳ぐ時の小さなひとかきと、小さな仕事の積み重ねは同じ
あと、万が一のことがあった時には地元の人たちに助けてもらわないといけません。海上自衛隊や海上保安庁に挨拶に行きましたし、そして漁業組合の人たちにはお酒やお土産も持って行きました。体と同時に、地元の方々と調和していくという、社会性も鍛えられましたね。
海洋遠泳で40~50km泳ぐときには、非常に周到な準備が必要です。これは社会人の仕事も同じだと思います。遠泳をしている時には、果たしてゴールにたどり着けるのか、いつも考えていました。泳者なんて、大海原では本当に小さなものです。しかし地道に、着実に手足を動かして水をかいて行くことでゴールに近づくことができます。目的地について、砂浜に足をつけた時は、本当に到達感と達成感を感じます。そしてそこで思うんです。「あのひとかきがなかったら絶対ゴール出来なかった」と。当時は分かりませんでしたが、今となっては仕事も同じなんだと感じています。毎日の地道な努力の積み重ねこそが、目標に到達する早道だと。

遠泳をやっていて身に付いた精神性やその時の気持ち、そして社会性が会社に入ってからも役立っていることは確実です。学生時代、特に保険会社を目指していたわけでないのですが、遠泳部の先輩がこの会社にいて、熱心に誘ってくれたんです、「すごく魅力的な人がたくさんいるよ」と。前回少し言いましたが、弊社の水泳部は歴史もあり強い部でしたから、泳げる人材を継いでいくことが必須でした(笑)。
しかし、本当に学生時代に経験した遠泳のひとかきひとかきがなければ、今、ここにいなかったと思っています。仕事でも自分の一つの行動が、本当に役立っているのかなと思うことがあります。でも、今やらなければいけないこと、目の前の課題や問題を一つずつ確実に実行し、解決していくことが最後には大きな成果になって現れるものだと自分なりに信念を持ってやってきたつもりです。
(まとめ:松尾直俊=フィットネスライター/写真:村田わかな)
私の「カラダ資本論」【東京海上HD 永野会長】
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東京海上ホールディングス会長
