日経グッデイ

私の「カラダ資本論」

卓球の新リーグ迫る、多忙の合間に運動【Tリーグ 松下チェアマン】

第1回 街中では早歩き、エスカレーターも使わず

 松下浩二=Tリーグ チェアマン

様々な分野で活躍する一流人が実践する健康マネジメント術を紹介する本コラム。今月は2018年10月に幕を開ける卓球の新リーグ「Tリーグ」のチェアマンである松下浩二さんにお話を伺っていく。松下さんは、中学生時代に頭角を現し、トップ卓球選手として日本国内での活躍はもちろんのこと、国際舞台でも世界選手権での入賞や4度の五輪出場を果たした。日本初のプロ卓球選手として、ドイツやフランスの卓球リーグでも活躍。現役を引退した現在は、Tリーグの開幕へ向けて多忙な毎日を送っている。今回は、「トレーニングの時間が取れない」という松下さんに、日常生活の中で実践している運動法について語ってもらった。

 久しぶりに会う方からは、よく「現役の時代から体形が変わりませんね」と言われるんですが、実は現役を引退してから、体重が10kgも増えているんです。2009年1月の全日本選手権を最後に現役を引退した時は63kgでした。それが今73kgですから、1年に約1kgずつで増えている計算になります。主に腹回りに肉がついてしまっているんですよ(笑)。服を着ていると、あまりわからないのかもしれませんが。

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 そうなってしまったのは、やはりトレーニングしたり、卓球をプレーしたりする時間が少なくなくなってしまったからです。それこそ現役のころは、腹筋を1日に1000回するなど筋トレもかなりやっていました。今考えれば、それが卓球に必要な強い体作りにどれだけ役立っていたのかは疑問ですが(笑)。とにかく当時はトレーニングや練習をすればした分だけ、よい成績が収められると信じていたわけです。

 私たちの時代は、そういう基礎体力をつける練習に長い時間をかけることが常識でした。本来であれば、実力が一定に達すると戦術的な練習や、「パターン練習」と呼ぶ連続技の練習など、技術を磨くトレーニングを中心に据えないといけません。その点、今の卓球選手の練習は、以前と比べて非常に合理的になっています。基礎体力を強化するトレーニングは、パッと終わらせて、技術力を高めることに重点を置くようになっています。

 引退した次の年に私は卓球用品総合メーカーのヤマト卓球(現ヴィクタス)の社長に就任しました。直接卓球に関わる仕事だったので、引退しても時々人に頼まれて卓球講習会で教えたり、トレーニングをしたりと、まだ、体を動かす機会があったんです。

スマホの健康アプリで歩数を確認

 しかし今は運動の時間がまとまって取れません。今、卓球の新リーグ「Tリーグ」のチェアマンを務めていますが、2018年10月の開幕に向けて、行政やスポンサーとの打ち合わせや会食、リーグ事務局内の会議などに追われ、自分のための時間が作れなくなっています。

 その分、多忙の合間を縫って、日常生活の中でできるだけ体を動かすように心がけています。頼りにしているのが、スマートフォンに入れている歩数を計数する機能がついた健康管理アプリです。それによるとだいたい1日1万歩以上は歩いています。距離にすると8~9kmです。

 歩くペースはかなり速い方です。早歩きするのは運動のためだけではありません。例えば打ち合わせなどでどこかに出向く時も、約束の時刻よりもできるだけ早く着いて、時間的な余裕を持ちたいという動機もあります。まあ、Tリーグの事務局にいる時でも、せかせかと歩いていますけどね(笑)。

 駅やビルの中では極力エスカレーターやエレベーターの使用は避け、階段を使うようにしています。特にエレベーターは、待っている時間があるので、それがもったいないし、階段を使った方が早い。せっかちな性格なんでしょうか(笑)。それにタクシーもできるだけ使わないようにしています。

 また、自宅では朝にテレビを見ながら腹筋運動や腕立て伏せ、スクワットなど、一通りの「自重筋力トレーニング」をやっています。現役時代に比べれば微々たる、本当に軽いものですが、それでも筋肉が刺激されます。

 朝に軽く運動し、外出時にはできるだけ速く歩き、階段を上り下りする。1つひとつは小さなことかもしれません。それでも「ちりも積もれば山となる」です。多忙な私にとって合間の時間は、健康を維持するための貴重な運動の機会です。

(まとめ:松尾直俊=フィットネスライター/インタビュー写真:村田わかな)

松下浩二(まつした こうじ)さん
Tリーグ チェアマン
松下浩二(まつした こうじ)さん 1967年愛知県出身。小学校3年生のときに卓球を始める。明治大学在学中の87年に全日本選手権ダブルスで初優勝。卒業後、協和発酵キリンに入社し1992年のバルセロナ五輪出場。93年にプロ宣言し、日産自動車と契約。同年の全日本選手権男子シングルで優勝。95年、日本選手権男子シングルで優勝。96年のアトランタ五輪ではシングルでベスト16、ダブルスでベスト8に進出。97年に世界選手権マンチェスター大会ダブルスで3位に。同年に日本人として初めてドイツの卓球リーグ「ブンデスリーガー」に活躍の場を移す。2000~01年シーズンに日本人で初めてフランス卓球リーグの選手となる。01年と02年全日本選手権シングル連続優勝。04年にアテネ五輪で4度目の五輪出場を果たした。09年1月の全日本選手権を最後に現役引退。10年に卓球用品総合メーカー、ヤマト卓球(現ヴィクタス)の社長に就任。17年にTリーグ設立のために社長の座を退き、チェアマンに就任。