入院経験から得た「健康、安全第一。仕事はその次」【サッポロビール高島社長】
第1回 大学時代はラグビーに打ち込んだ
高島英也=サッポロビール
新日鉄釜石の合宿で知った体幹力の作り方
私たちの大学はフォワードが強いのが売りでした。ちょうど当時、新日鉄釜石が全日本4連覇中で、岩手県の釜石に行って一緒に合宿をやらせてもらったりしていました。練習で教えてもらえたのが体幹力の作り方です。
印象に残っているのは、ボールを使わない練習です。30分間、転んで起きて、転んで起きて、ダッシュしての繰り返しだけなんです。チームのみなさんは会社員で、交替勤務で仕事をやっていました。14時くらいに一直勤務が終わって、私たちが練習させてもらっているグラウンドに、全日本クラスの選手たちがパラパラとやってきて、その練習をやって、帰っていくんです。全メンバーが集まって、ボールを使う合同練習は週1回だけという話でした。それで圧倒的に強いチームを作り上げている。体幹力の強さはこうやって作られていくんだなと、思い知らされました。
会社に入ってからは、運動を甘く見ていましたね。最初は大学があったのと同じ仙台の工場勤務でしたが、市内のクラブチームから誘いがあってラグビーをやっていました。年に5~6回は試合があるものですから、それなりに体を作るということはできていました。
30歳少し前に大阪工場に異動になったのですが、そこには何と、会社のラグビーチームがあったんです。学生時代にラグビー経験がない人もいましたし、何人かは会社以外から助っ人に呼ばないとけない状態でしたが、ちゃんとしたラグビーをやっていましたよ。

左肩脱臼と過敏性肺炎の入院でわかった健康の大切さ
運動を持続していたのは34歳くらいまでです。ラグビーの試合中に左肩を脱臼したことがあり、妻から「もういい加減、ラグビーはやらないでよ」と言われてしまったんです。会社経営者の義父からは「君は大企業病に侵されている。中小企業の経営者だったら、けがをして仕事に穴をあけてしまったら大損害だよ。それで仕事を継続しようなんて考えが甘いよ」とすごく怒られてしまいました。
それからラグビーは全くやっていません。今、会社全体を見る立場になると、確かに義父の言う通りなんです。ラグビー経験とその中でやってきたトレーニングによって、“自分は強い”という思い上がりがあったんですね。健康のこともあまり意識したことはなかったですから。
36歳で千葉工場勤務になったとき、過敏性肺炎を患って2カ月間入院してしまったんです。当時住んでいた家のベランダでミニトマトを栽培していたプランターに、家庭で出る生ごみを堆肥化させた肥料を使っていました。生ごみを菌が分解し、最後はサラサラになるんです。それをブランターの土に入れると、白カビが発生します。その土を返すときに、定期的に吸っていたんですね。それで抗原抗体反応が出てアレルギーです。
入院していた病室は、病院の最上階、9階の清浄な部屋でした。集中治療室がある一角で、周りは生死に関わる患者さんばかり。そこで「健康というのは、本当に大切なことなんだ」ということを思い知らされました。
健康だけでなく、安全への配慮についても思い知らされた経験があります。工場勤務時代に高校を出たての新入社員にけがをさせてしまったことも悔いが残っているんです。けがの原因は、彼の不注意ではあるのですが安全に対しての指導ができなかったことが、今でも悔やまれるんです。
その二つがきっかけとなって、健康と安全が何よりも大切だと思い始めました。それは今でも変わりません。そして北海道で営業部門の長(北海道本部長)に就任したとき、朝礼でみんなに伝えたのが「健康、安全第一。仕事はその次」ということでした。特に「仕事はその次」を強く言わないと、みんな守ってくれないと思いまして、強調しました。すると結構反発があるんですよ、「私たちは命かけて仕事をやっているんですよ」と(笑)。しかし、健康を害してしまったり、けがをしてしまったりしては、仕事もできません。その思いは、今も続いています。
(まとめ:松尾直俊=フィットネスライター/写真:村田わかな)
次回は、日々の運動などについて伺います。
サッポロビール代表取締役社長
