日経グッデイ

私の「カラダ資本論」

「決して諦めない」を肝に銘じたドイツでの出来事【川淵三郎さん=日本サッカー協会最高顧問】

第4回 「ヤマトダマシイ」…僕は恥ずかしくてたまらなかった

 野地秩嘉=ノンフィクション作家

仕事においては、やはりカラダが資本。多忙な中でも最高のパフォーマンスを発揮し続けるには、日頃からの健康管理が欠かせない。一流人が実践する健康マネジメント術について、「食事」「運動」「スポーツ」「睡眠」「ストレスマネジメント」「やりがい」など様々な切り口で紹介する。新連載に登場してもらうのは、「キャプテン」の愛称でも親しまれてる、日本サッカー協会最高顧問の川淵三郎さん。根っからのアスリートで、スポーツマネジメントのプロであり、しかも教育者、指導者だ。川淵さんが語る、「私の『カラダ資本論』」とは。

「健康管理も自然体で生活することが大切なんだ」

 川淵三郎(78歳)さんは、自身のゴルフ論について、次のように語っている。

 「ゴルフをやっていて思うことがある。それは『技術だけでスコアが良くなるスポーツではない』ということです。メンタル、つまり、心の持ちようで、スコアは良くなったり、悪くなったりする。だから、僕は自然体でゴルフと向き合うことを心がけている。自分のショット、パットに一喜一憂せず、感情を出さずに淡々とやる。まあ、でもそれがいちばん難しいんですけどね(笑)」

 ミスショットすると、どうしてもカーッとなってしまうもの。しかし、あえて川淵さんは淡々と続ける。「健康管理でも同じですよ。いろいろな薬やサプリメントを飲んだり、激しい運動をしたりするよりも、自然体で生活することが大切なんだ」

「ミスショットをしても、カーッとしないこと。ゴルフは技術だけではなく、心の持ちようでスコアがよくなったり、悪くなったりする」。川淵さんは、ミスショットをしても、どんなところからでもリカバリーしてスコアをまとめてくる。
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 川淵さんの言う通りではあるが、凡人だとなかなかこうはいかない。歯が痛むだけでも憂鬱になってしまい、悲観的になる。淡々と人生を送ることはたやすいことではない。

 「確かにそうです。病気になったら人間は誰でも弱気になる。でも僕には『ある体験』がある。それが自分を支えているんだ。日本代表選手だった時代、とても恥ずかしい経験をした。その一件があってから、何があっても、弱気にならず、絶対に諦めない気持ちを持つようになった。ゴルフのときでも同じです。どんなトラブルに遭っても、諦めたりはしません。気持ちを切り替えて、次にいいショットを打てば良いとする。何事も諦めないで死力を尽くすことが僕の生き方だともいえますね」

「ヤマトダマシイ」は持っていないのですか?

 川淵さんの「人生哲学」を決定づけたのは、1960年に起こった試合での出来事だ。当時、早稲田大学の学生で、サッカー日本代表のフォワードだった川淵さんは、日本サッカー協会が旧西ドイツから招聘していた、デットマール・クラマーコーチの下で練習を続けていた。

 クラマーコーチは若い頃からいわゆる“ハゲ頭”で、代表メンバーたちは初対面の時に「なんだ、こんな風采(さい)の上がらないおっさんがコーチなのか…」と幻滅したそうだ。しかし、いざ指導を仰ぐと、選手たちの幻滅はたちまち尊敬に変わっていったという。クラマーコーチは旧西ドイツの伝説的なプレーヤーであるベッケン・バウアーの師でもあり、後にバイエルン・ミュンヘンの監督も務めた人物。「プロフェッサー(教授)」とも呼ばれた理論家で、サッカーの技術や戦術だけでなく、日ごろの生活の心得までも教えてくれた。選手たちは次第にクラマーコーチに心服するようになっていった。

 そして、ある日の出来事が、川淵さんの生き方を変えてしまった。

日本代表メンバーだったときの海外遠征で、旧西ドイツのセミプロチームに5対0で負けた。デットマール・クラマーコーチから「ヤマトダマシイを持っていないのか?」と問われた苦い体験から、どんな苦境にあっても諦めないと肝に命じた。
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 「旧西ドイツに遠征した時のことでした。アーヘンという町のセミプロチームと試合したところ、日本代表は5対0で負けたのです。相手はセミプロなのに代表チームは完敗で、我ながら情けなかった。そうしたら試合の後、クラマーが控室に入ってきて、静かな声で話し始めたのです。ジェントルマン、私は兵隊上がりです。ドイツは戦争には負けたけれど、ゲルマン魂はまだ失ってません。戦争の良しあしは別として、戦う時は死力を尽くして戦う。サッカーもそうなのです。今日、私は残念でした。あなたたちは戦う気持ちを持っていなかった。勝ちたいと思っていなかった。最後まであきらめずに頑張ることもしなかった。一体、あなたたちはどうしたのですか? 私たちドイツ人が敬意を払っていた『ヤマトダマシイ』を持っていないのですか? ヤマトダマシイを持った日本人は精神的に強いというのは嘘だったのですか? 声を荒げ、こうまくし立てたのです」

 その時、選手たちは誰1人としてクラマーコーチの顔を見ることができなかったという。

どんなに苦境でも諦めちゃいけないと肝に銘じた

 川淵さんは振り返る。

 「いや、びっくりしました。ドイツ人から『ヤマトダマシイ』という言葉が出てきたから、僕は恥ずかしくてたまらなかった。それ以来、どんな強い相手でも試合を投げ出しちゃいけない、どんな苦境にあっても諦めちゃいけないと肝に銘ずることにしたのです」

 それ以来、川淵さんは仕事でも、Jリーグを創設してからも、手を抜いたことはない。どんな時でも死力を尽くしてきた。「いくつになってもゴルフのドライバーの飛距離は伸びる」と信じているのも、絶対にあきらめない気持ちを持っているからだ。

 「今まで健康だったのはサッカーをやっていた頃の貯金があるからでしょう。身体にいいこと? やはり、ものごとにこだわらずに淡々と生きていく。悠々と生きていく。それができれば理想ですね」

<了>

(写真協力:日刊ゲンダイ/取材・撮影協力:ヌーヴェルゴルフ倶楽部、千葉夷隅ゴルフクラブ)

『日刊ゲンダイ』で川淵三郎さんが登場する「相手をスコアアップさせ、自分も上達になる方法」を毎週火曜に連載中

川淵三郎(かわぶちさぶろう)さん
日本サッカー協会最高顧問、日本バスケット協会会長、首都大学東京理事長
川淵三郎(かわぶちさぶろう)さん 1936年12月3日、大阪府生まれ。 大阪府立三国丘高校でサッカーを始め、早稲田大学、古河電工でプレー。現役引退後は古河電工、日本代表の監督を経て、JFA(日本サッカー協会)理事に就任。1991年Jリーグ初代チェアマン、2002年JFA会長、名誉会長を歴任して、2012年に最高顧問となる。現在、日本バスケットボール協会会長、首都大学東京理事長を務める。著書に『「51歳の左遷」からすべては始まった』(PHP新書)、『「J」の履歴書』(日本経済新聞出版社)など。