日経グッデイ

現役エージシューターの「山あり、谷あり、ゴルフあり!」

練習は365日、ハンデ取得後2カ月でシングルに!

第1回…きっかけは妻のひと言、35歳でゴルフと出合う【菅丈夫さん】

 高橋健二=ノンフィクションライター

ゴルフを嗜む者であれば、生涯に一度は経験したいことが3つあるとされる。「ホールインワン」「アルバトロス」、そして「エージシュート」だ。偶然などによってもたらされることが多いホールインワンなどとは違い、自分の年齢よりも少ない数字のスコアで回るエージシュートは、真の腕前だとされる勲章の1つ。そして何より、70代、80代、90代…でゴルフができる「元気の証」でもある。ゴルフを始めた経緯も、その人生も様々。現役エージシューターから学ぶ「体のこと」「ゴルフの極意」をお届けする。

エージシュートの達成はまだ2回にしか過ぎないが…

 ゴルフは楽しい。そして何歳になっても楽しめる。しかし、それはある程度のスコアで回れたらの話だろう。スコアにこだわらない楽しみ方もないわけではないが、初心者ならともかく10年以上もゴルフをしていて100を切れないようでは真の楽しみは味わえないともいえる。

 ゴルフは、中高年から始めても練習次第でそれなりのスコアでは回れるようになるし、努力が比較的早く結果となって表れるスポーツでもある。今回は、ゴルフを始めて短期間でシングルになり、77歳になった今もその力を維持するために努力を続けているエージシューターをご紹介しよう。

菅さんのスイングフォーム(フィニッシュ)。雨中のラウンドでもスイングは軽やか。
[画像のクリックで拡大表示]

 実は、菅さんのエージシュートの達成はまだ2回にしか過ぎない。しかし、これからシングルプレーヤーを目指したい中高年の人、ゆくゆくはエージシュートを達成したいと思っている仕事引退組の人、そして、現在シングルプレーヤーで鳴らしている人、すべてのアマチュアゴルファーにとっても、大いに役立つ話が満載である。

かつての趣味は磯釣り、夏場の閑散期に全国を巡っていた

 東京都内で空調機器の製造施工会社を共同で経営する菅丈夫さん(77歳)が、ゴルフを始めたのは1974年、35歳のときだった。

 北海道・浦河町で1938年4月2日に生まれ、高校を卒業すると同時に上京した。電熱器製造会社に就職して6年目に先輩と一緒に独立した菅さんは、会社を設立した当時、営業担当専務として忙しく働いていた。それまでの趣味といえば、磯釣り一筋。ゴルフには見向きもしなかった。

 「今でこそ空調会社というのは冷暖房の両方を手掛けますが、当時は、冷房は冷房専門、暖房は暖房専門の会社に分かれていたのです。私がやっていたのは電熱器を使った暖房専門の会社。寒くなる季節は忙しいけれども夏は暇なんです。そのときに覚えたのが釣りで、夏になると全国各地の磯釣りの名所に出かけていました」(菅さん)

 菅さんが磯釣りに夢中になっていた昭和40年代前半といえば、田中角栄内閣の誕生による「日本列島改造ブーム」で全国各地にゴルフ場が造成された時代。ゴルフ界はジャンボ尾崎や青木功らが中心選手としてトーナメントで活躍し、日本に第2次ゴルフブームが沸き起こった頃である。そうした中でも菅さんは、ゴルフには全く関心が向かなかったという。

 「いや、それだけ磯釣りのほうがめちゃくちゃ面白かったんですよ。全国の磯釣りの名所にはほとんど行きました。釣り場によっては磯渡しの船をチャーターして行きますから、お金はゴルフよりもかかる。でも3~4キロクラスのイシダイがかかったときの手ごたえ、興奮の度合いは、ほかの遊びでは到底味わえませでしたね」(菅さん)

ゴルフを始めるきっかけは妻からの薦めだった

 ところが、その磯釣りに対して奥さんからストップがかかった。

 「磯釣りで波にさらわれたという事故が報道され、その記事を見た妻が危険だから止めてほしいと。止めてもいいけど、その代わりに何をしようかと言ったら、妻のほうからゴルフはどうなのということで、じゃあ陸に上がるかと。それで釣りはきっぱり止めました」(菅さん)

 菅さんは、早速、会社の近くにあるスポーツ店でクラブのハーフセットを購入し、翌日、店主に頼み込んでコースに連れて行ってもらった。

 「たしか千葉廣済堂CCだったと思いますが、スコアは72・68の140。いきなりコースに出ての成績だから、良いのか悪いのか自分ではわからなかったけれども、一緒に回ったスポーツ店の店主はハーフ47で、それがすごく上手く見えたのを覚えています。それと同時に、たくさん叩いたのが悔しくて、絶対に上手くなってやるぞと思いましたね」(菅さん)

愛用のクラブは、ドライバーがテーラーメイド「GLORE」のSシャフト、3W、5W、U(ユーティリティ)は19度でホンマ「BERES」のRシャフト。アイアンはホンマ「TOUR WORLD」のRシャフト。シャフトはすべてカーボン。パターはオデッセイ。
[画像のクリックで拡大表示]

 とはいえ、最初のうちは遊びのゴルフで、スコアも100を切ったり、切らなかったりのどこにでもいるアマチュアゴルファーの1人だった。

 「そう。はじめた頃はそんなに夢中にもなっていなかった。というか、ショットもパットも思い通りにならないから、ただ飛ばして楽しむだけのゴルフでした。最初から飛距離だけはあった。たまにしか当たらないけど、パーシモン(*1)で280ヤード近く飛んでいたから、それが楽しくてコースに出ていたようなものです」(菅さん)

 菅さんの出身校である北海道・浦河高校では、野球部の正捕手でスラッガーとしても鳴らしていたから、飛ばす技術は先天的に持っていたのだろう。

(*1)ドライバーやフェアウェイウッドなどのヘッドとして使われていた柿の木を使ったウッドクラブのこと。現在はメタル、カーボン、チタンなどの金属製素材が主流となったため、一部の愛好家を除いて、使われることはほぼなくなっている。

ハンデ18から2か月後には8のシングルに

 そんな菅さんが真の意味でゴルフに目覚めたのは、2年後にホームコースの東名厚木CCでハンデキャップを取り、月例競技に参加するようになってからである。

 「ホームコースの会員権はゴルフを始めた直後に購入していましたが、遊びのゴルフだからハンデキャップはなかった。そうしたら、あるとき一緒に回った人から『ハンデを取って月例競技に参加するともっと楽しいよ』といわれて取得したのです。初めて付いたハンデが18でしたが、取得したすぐ翌月の月例競技に参加したらスコア78で回って優勝した。グロスして12アンダーの優勝です。それでハンデが改正されて10になり、さらに翌月の月例競技に出たらスコア75で回って、グロス7アンダーでまた優勝。これでハンデが8になったんです」(菅さん)

 菅さんはなぜ、こんなにも急速に上達したのだろうか。これからゴルフを本腰で取り組みたい人、さらにゴルフを始めたいと考えている人たちは、ぜひ参考にしてほしい。

 「ひと言でいえば、『集中してやった』からでしょう。スポーツは何でもそうですが、あいだを空けるとなかなか上達しない。せっかく正しい動きを筋肉に覚えさせても、あいだが空くと、また一からやり直しになる。思うように上達しない人は、それを繰り返しているのです。やるから以上は徹底的に集中してやる。それが上達の秘訣です」(菅さん)

次打地点に向かうときは、必ずクラブ3本を持って行く。プレイファーストを基本とするトップアマのマナーだ。アベレージゴルファーも心がけておきたい。
[画像のクリックで拡大表示]

 たしかにそれは事実かもしれない。例えば、月に1回程度でラウンドしていて、何年やっても100を切れなかったゴルファーが、休暇などを使って5日連続でラウンドしたらアッという間に80台で回れるようになったといったエピソードはよく聞く話だ。菅さんはそれを、身をもって実践した。こうしてたった2カ月で10ものハンデアップにつながったのである。

「1年365日、1日も欠かさずにクラブを振った」

 次に、読者が気になるのが、菅さんの練習法だろう。菅さんが言う「集中してやる」というのは、果たしてどんな内容だったのだろうか?

 「最初の1年は、365日、1日も欠かさずにクラブを振りました」(菅さん)

 無論、仕事を疎かにしたわけではない。むしろ逆で、菅さんはゴルフをするために、それまで以上に熱心に仕事に取り組んだ。これが同時に仕事における営業活動の手助けにもなった。菅さんがゴルフを始めた時代は、役所や銀行でも接待ゴルフが通例化しており、サラリーマンの間では野球に次いで、ゴルフをしているだけでも“営業トーク”に困らないといわれたほどだった。

 こうした中、菅さんは営業活動で走り回りながら、ゴルフの練習は1日も欠かさず続けた。

 少しばかり勿体つけてしまったが、次回は、少ない時間で大きな効果を上げた菅さんの練習法についてご紹介したい。



*)次回(9月15日公開)は、『1年でシングルプレーヤーになれる練習と心得』をお届けします。ぜひ、ご覧ください。