ゴルフを嗜む者であれば、生涯に一度は経験したいことが3つあるとされる。「ホールインワン」「アルバトロス」、そして「エージシュート」だ。偶然などによってもたらされることが多いホールインワンなどとは違い、自分の年齢よりも少ない数字のスコアで回るエージシュートは、真の腕前だとされる勲章の1つ。そして何より、70代、80代、90代…でゴルフができる「元気の証」でもある。ゴルフを始めた経緯も、その人生も様々。現役エージシューターから学ぶ「体のこと」「ゴルフの極意」をお届けする。
高校時代に父が急逝、大学進学を諦めて就職
晩年は自分のためにとっておいた―。
恐らく、今も現役で働くサラリーマンは、皆そういう思いで人生設計を考えているに違いない。だが、いくら綿密に目標を立てても、つい諸般の事情に流されてしまって思い通りにできないのが人生。思い通りにするには何かを捨てなければならないのに、そうこうしているうちに時は無情にも流れていく。
今回ご紹介するのは、一度きりの人生で「思いきって捨てた」ことで、誰もがうらやむ晩年を送っているエージシューターである。
神奈川県横浜市に在住する金子勝男さんは、旧財閥系の元大手信託銀行マン。1938年4月23日生まれの今年77歳である。
「生まれも育ちも、現在の横浜市青葉区です。今では東急田園都市線が通って高級住宅が並ぶベッドタウンになっていますが、私が子供のころは“横浜のチベット”といわれていました(笑)」(金子さん)
金子さんが生まれた1938年というのは、日中戦争が泥沼化し、世相全体がだんだんと戦争一色へと染まっていく気配を漂わせていた。やがて太平洋戦争に突入し、さらに戦後の困窮した時代が続く。農家の次男に生まれた金子少年は、働き者の両親のもとで貧しいながらも、それを不自由と感じないで元気いっぱいに育った。
そうした状況が一変したのは金子さんが高校2年生のときである。父親が47歳の若さで亡くなったのだ。心臓病だった。大学進学を夢見ていた金子少年は、急きょ進路変更を余儀なくされた。
「もう大学どころではなくなり、高卒と同時に就職しました」(金子さん)