林和彦「緩和ケアとは、がんであることを忘れられる時間をつくること」
がんについてネット検索する時間があれば、家族は患者と過ごしてほしい
林 和彦=東京女子医科大学 がんセンター長
「患者さんが満足するなら最先端の治療でなくてもいい」
自宅で家族と過ごすためには、「在宅医療」という方法もありますね。国全体が在宅医療を進める方向に動いています。

林 在宅医療とは、住み慣れた自宅や地域の高齢者住宅などで訪問医や訪問看護師から医療を受けることで、患者さんが治療を続けるための選択肢の1つです。ただ、「自宅で過ごしたい」という患者さんに対して、その生活を支えられる家族がいなければ双方に負担がのしかかるだけです。なので、私は、何がなんでも「在宅に…」とお薦めはしていません。オプションと位置付けています。
医療は究極のサービス業だと私は思います。患者さんとその家族が満足すれば、必ずしも、病院で実施する最先端の治療でなくてもいいのです。つまり、クライアントが満足しなければ、いくら世界一の医療を提供しても意味がありません。医療の本質は苦しんでいる人を救うこと、一番誠実な方法で患者さんに報うことだと思っています。がんを治療する医師として、特に緩和ケアに携わることは、私の天職だと思っています。
「自分はずっと不誠実な外科医でした」
林さんは、緩和ケアに携わる前は、外科医として多くの食道がん手術をこなしていたと聞いています。そもそも、医師としてがんに向き合おうと思ったきっかけを教えてください。
林 子供の頃から、医師を志していましたが、中学時代に父を胃がんで亡くしたことで、「将来、外科医になってがんを治したい」と思うようになったのです。日本で一番厳しく、レベルの高い病院(東京女子医科大学病院)の消化器外科に入局し、食道がんのグループに割り振られました。
でも現在は、抗がん剤治療や緩和ケアを専門としておられます。どうして、専門を変えたのでしょうか?
林 医師になったばかりの1年目、自宅に帰れたのは5日間だけ、10年目になっても、週1日しか帰れなかったことを思い出します。この時期、食道がんの内視鏡治療では日本で1番、2番と言えるほどの症例数をこなしていました。
仕事が忙しいだけでなく、先輩の指導が本当に厳しくて、寝ても覚めても、手術を成功させることばかり考えていたほどです。
でも、実は、私はずっと不誠実な外科医でした。
どういうことですか?

林 手術が無事に終わっても、再発して亡くなっていく患者さんが後を絶たず、さらに、当時、“天才外科医”と呼ばれていた先輩医師が手術に生涯をかけても、すべての患者さんをメスで救うことはできませんでした。
もし、手術方法に改善の余地があって、治療成績が変わるのであれば、食道がんを治したい一心で、さらに尽力したことでしょう。でも、厳しい現実を前に無力感で一杯になり、「この患者さんは治らないだろう」と思いながら、手術をしていました。
一方、同僚は「あの医師はこんな難しい手術を成功させたらしい」と外科医の手先の器用さについて、朝から晩まで話をしていました。それでも、患者さんは亡くなっていきます。そのギャップを“消化”できなくなり、外科医という仕事に、一生を捧げる気持ちになれなくなったのです。
やがて、抗がん剤治療や遺伝子の研究、緩和ケアに関心を持つようになり、アメリカ留学をきっかけに本格的に緩和ケアを勉強しました。いまでは、抗がん剤治療と緩和ケアが私の専門分野。一生を捧げて、取り組んでいきます。
(写真:清水真帆呂)
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