田部井淳子「山での遭難に比べたら、がんの治療の方が恵まれている」
登山で培った、困難を受け止める力
田部井淳子=登山家
「山での遭難に比べたら、ベッドの上でがんの最先端の医療を受けられることの方が恵まれている」
私は、今はがんになった現状を「仕方ない」と思えるようになりましたが、これまで相当、葛藤があったり、結構つらい気持ちを抱えたりしていました。

田部井 私も入院した当日は、ベッドで白い天井を見ながら、「やっぱりホントなんだな」「明日の朝起きたら、何でもなかったということになったらいいな」と一度だけ、思いました。でも、「これは現実。受け止めないと、前に進んで行けない」とすぐに考え直しましたね。
30代、40代のとき、山で「あぁ、これで終わり」「もう死ぬんだ」と思ったことが、3回ありました。雪崩と一緒に落ちたり、雪崩の下敷きになったり…。もう、にっちもさっちもいかない。雪崩と一緒に落ちたときは、何とかしなくてはと思いながらも、自分の力では何もできなかった。雪崩の下敷きになったときは、雪で鼻も口も塞がれて、全然、息ができませんでした。
酸欠になって目の前が黄色くなったり、紫色になったりしながら、頭のなかでいろいろなことを思いめぐらせて。最後の1000分の1秒までがんばらなくてはいけないと思っても、苦しくて苦しくて…。
あの恐怖は、もう絶対に味わいたくないものです。
そのときのことに比べたら、清潔なベッドの上で横になり、医師が何人もいて、最先端の治療を受けられる。病気になっても、「あぁ、文句を言ってはいけない」と思いました。
「いつかは死ぬ。その時は『あぁ、面白かった』って思いたい」
田部井さんはがんになる前に、死を意識するような壁を何度も乗り越えたことで、困難を受け止める心の受け皿ができていたということですね。それは、病気でなくても他のことでも同じ。「どう困難を乗り越えればいいか」という人生観につながりますね。

田部井 私は登山を始めてから、山で遭難して亡くなっている人のご遺体を何度も見ました。初めはショックを受けていましたが、いつしか自分自身も土に帰るんだと自然と思うようになりました。であれば、自分が死ぬ瞬間は、「あぁ、おもしろかった!」と死んでいけるようにしたい。
「これをしたかった」「あれをやりたかった」「子どもが小さいからできなかった」という愚痴や後悔でなく、そのときそのときを一生懸命にこなしつつ、自分のやりたいことを続けていくのが私の理想です。「もし、雪崩に遭って、あのとき死んでいたら、今、“頭が痛い”“肩が凝った”なんてことはないんだな」「これぞ、生きている証拠。死んだら、こんなことは考えない」と思うと、ちょっとした不満や不調への愚痴は出てこなくなります。
むしろ、「今日も生かされている」と感謝の気持ちが出てくるようになりました。がんを経験して、なおさらそう感じるようになりました。朝起きて、今日も生きられることに「ありがとうございます」と感謝するんですよ。
こういう気持ちで過ごしているから、今を大切にしないと。夫や子どもたちを見送るときは、いつも「これが最後になるかもしれない」という気持ちで「いってらっしゃい」と言っています。そう思えば、怒りにまかせて、口をきかなくなったり、電話をガチャンと切るなんてできません。
- 次ページ
- 登山をきっかけに前向きな性格に