田部井淳子「山での遭難に比べたら、がんの治療の方が恵まれている」
登山で培った、困難を受け止める力
田部井淳子=登山家
「がんになったことを話したって、がんが治るわけじゃない」
2回目のがん性腹膜炎の診断のほうが衝撃でしたか? 経緯を教えてください。
田部井 東日本大震災の翌年(2012年)の春、福島での講演を控えていた頃でした。1カ月前から、おなかのあたりに針で突かれたようなチクチクとした痛みがありました。すぐ忘れるけど、また痛い。その後、講演の1週間前から食欲がなくなり、福島に行く前日は「美容院へ行こうかな。それとも、病院のほうがいいかな」と考えるほどでした。郡山に住む兄が医師なので、電話で話したら「すぐ来い」と言われ、その日のうちに病院の緊急外来へ行きました。講演は、医師である兄の付き添いのもとで許可されました。
がん性腹膜炎とは、がんの細胞が腹腔内(腹部の内部)に種をまくように散らばった状態です。ステージはIIIC(がん細胞が他臓器にも転移している状態)と診断されました。私が「限りなく末期ですね」と聞いたら、医師は「そうですね」と。内心、驚きながらも「あと、どのくらいですか」と聞いたら、「6月ぐらい、かな」。余命3カ月という意味です。
医師には「そうですか」と答えましたが、診察室を出てから、夫と「あと3カ月っていうのは、ないよね」と半信半疑でした。根拠はありませんでしたが、それがそのときの率直な気持ちだったのです。
がんになったことは、家族とごく親しい友人にだけ話しました。家族や友人には、「私ががんになったこと」を周囲に言うな、絶対に騒ぐな、ときつく念を押しました。気を遣われると、ストレスになるからです。
「私の元に来ちゃったがんは返せないから」
そうはおっしゃっても、ストレスや不安を抱えているのがつらくて、人に言いたくなるものではないですか?

田部井 他の人に自分の病気の話をするほうが、私にとっては苦痛です。言ったって、治らないんだから。私の元に来ちゃったものは返せない。
私は普段から、誰かのご主人の愚痴といったネガティブな話を聞くことは、あまり好きではなくて。だから自分もネガティブな話をしたいと思いません。がんになった話もごく一部の人が知っていればそれで十分だと思っていました。
治療法は、手術前後に抗がん剤のTC療法(パクリタキセル+カルボプラチンという薬の組み合わせ)、手術後も同じ抗がん剤の投与を受け、抗がん剤→手術→抗がん剤で8カ月かかりました。抗がん剤治療は外来で受けました。
TC療法では髪の毛が抜ける、手足がしびれる、息が苦しくなる、白血球が減少して免疫力が低くなるなど、いろいろな副作用の症状が出るとの説明でしたが、医師からは「それでも、普通の生活をしてください」と言われました。「あぁ、そうか! 普通の生活ができるということは、山に行けるということなんだ」と思って、毎週歩きました。通院している間は、友人との食事や、花見、同窓会にも行きましたね。「下山したら病院で治療を受ける。また登る」という生活になりました。親しい人と話しているとき、山に登っているときは、つらく感じませんでした。
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