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1兆9000億円の試算も! 腰痛・肩こりが招く職場の「経済損失」

働く人や企業側がとるべき痛み対策とは?

 及川夕子=ライター

国民病といわれる腰痛や肩こり。働き盛りの人に多い疾患だ。また、慢性化しやすい症状だけに「老化のせいだから仕方がない」「治らないので我慢するしかない」などと、やり過ごしている人も少なくないだろう。ところが、最近の研究から、腰痛や肩こりなどの痛みをもたらす疾患が、労働生産性を大きく低下させてしまうことが分かってきた。出勤はしているものの体の不調で仕事がはかどらないことによる職場の経済損失は、病欠による損失より大きいという。その額は一体どれほどなのか。また、働く人や企業側がとるべき痛み対策とは? 東京大学大学院薬学系研究科医薬政策学特任准教授の五十嵐中さんに聞いた。

つらい肩こりや腰痛。我慢は美徳どころか、業務の効率低下やさらなる体調の悪化につながりかねません。写真はイメージ=(c)Andrea De Martin-123RF

「はかどらない損失」の2大要因は精神症状と腰痛・肩こり

 少子高齢化で労働人口が減少する中、労働者1人当たりの生産性向上が重要視されている。併せて急浮上しているのが、従業員の健康増進や健康維持を目指す「健康経営」というキーワードだ。不調を抱えていたり、疲弊したりしている状態では、やる気も生産性も上がるはずがない。モーレツに働く時代は終わり、個人にとっても企業側にとっても、「いかにして快適に働ける環境を整えるか」が主要な課題となりつつある。

 そんな中、近年の研究により、企業における従業員の健康問題に関わるコストとして、「プレゼンティーイズム」(出勤はしているが、体の不調などのせいで仕事がはかどらないこと)によるコストが、医療費・薬剤費や「アブセンティーイズム」(欠勤・病欠)によるコスト以上に大きいことが分かってきた。

 プレゼンティーイズムとは、従業員が、出勤してはいるが「だるい」「どこかが痛い」といった体の不調のため仕事がはかどらず、本来発揮されるべきパフォーマンス(職務遂行能力)が低下している状況を示す言葉。分かりやすくいえば、仕事がはかどらないことによって生じる「はかどらない損失」のことだ。

Nagata T,et al, J Occup Enciron Med. 2018を基に五十嵐氏が作成
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 会社を休んでいたら仕事ができないのは当然だが、出社していても、体調不良のためにいつもなら2時間でできる仕事が4時間かかったとすれば、その分が損失となる。ある研究によると、企業における従業員の健康問題に関わるコストのうち、医療費・薬剤費は25%、アブセンティーイズムは11%を占めるのに対し、プレゼンティーイズムは64%を占めるという(*1)。

 「プレゼンティーイズムは様々な疾患や病態によって生じますが、日本人労働者約1.2万人を対象にした調査では、その中でも特に、精神関連症状(うつや睡眠障害)と、筋骨格系障害(腰痛や肩こりといった体の痛み)の2つが、大きな割合を占めていることが分かりました。腰痛や肩こりなどの体の痛みは、がんなどの深刻な病気よりも患者数が圧倒的に多いうえに、体の痛みだけで仕事を休む人は少なく、我慢しながら働く人が多いためです」と五十嵐さんは言う。

働く人の「痛み」は、1週間で4.6時間の損失を生む

 日本では成人の4人に1人が慢性的な痛みを抱えているとされ、部位としては腰と肩が群を抜いて多い(*2)。しかも年代別の慢性疼痛(とうつう)有病率を見ると30代、40代の働き盛りに多くなっている(*3)。「痛みをもたらす疾患は、程度の差はあっても普段通りの生活が送れなくなることには違いなく、生産性への影響は想像以上に大きいと考えられます」(五十嵐さん)

 海外調査では、肩こりや腰痛などをはじめとする慢性疼痛による勤務時間の損失は1週間で平均4.6時間に及ぶとの試算もある(*4)。こうした海外研究の結果を日本の職場環境に適用すると、経済損失は1兆9000億円以上に上るという研究もある(*5)。

*1 Nagata T,et al, J Occup Enciron Med. 2018
*2 矢吹省司 日本における慢性疼痛保有者の実態調査―Pain in Japan 2010より 臨床整形外科 2012年;47巻2号
*3 Nakamura M,et al. J Orthop Sci. 2014;19:339-350.
*4 Stewart, W.F.,et al.JAMA. 2003;290(18);2443-54.
*5 Inoue S.,et al. PLoS One. 2015;10(6):e0129262.

 「経済損失の大きさを考えると、企業や個人が『痛み対策』に取り組む意義は大きいわけです。国内外の研究により、どんな病気になると経済損失が大きいのかが次第に明らかになるにつれ、すでに米国では、アブセンティーイズムやプレゼンティーイズムへの関心が、従業員にかかる医療費以上に高くなっています」

我慢を美徳と考えない

 企業が健康経営の一環として、体の痛み対策に取り組む意義が高まってきたわけだが、どのような対策をとれば、損失を抑えて生産性を上げることができるのか。個人と企業、両側から有効な対策について見ていこう。

 「まず、個人では、肩こりや腰痛は、我慢していてもよいことはないと自覚すること。短期的には無理がきくと思っても、痛みを放置すればパフォーマンスが低下して、仕事効率が悪くなりかえって業績が悪くなりかねない、そしてご自身の体調もますます悪化してしまう。このことをしっかり認識することが大切です」と五十嵐さん。「本人は、しんどいのに頑張っているつもりでも、周囲にはその頑張りは必ずしも伝わりません。それどころか、パフォーマンスが低下して成果が上がらないことで、結局、損をするのは自分自身です。我慢が理解されなければストレスもたまるでしょう。不調は、放っておいてよいことなどないわけです」

 とはいえ、多くの人は、肩こりや腰痛の治療のために会社を休むという発想にはなかなか至らない。一般的な価値観として「肩こりぐらいで人の手を借りてはいけない」という意識が強く、慢性化していればなおさら、休暇は取りにくい。そこで必要になってくるのが、会社側の施策、それも実効性のある施策だ。

会社側は実質的なインフラ整備を

 これまで、従業員の健康管理というと、産業医や健康保険組合が担っていた部分が大きい。疾病予防のためのセミナーや研修を行うなどの啓発活動もよく行われているが、「それだけでは実効性が低い」と五十嵐さんは指摘する。

 「例えば、熱中症対策の例であれば、熱中症予防のために水分をとりましょうといくら啓発しても、職場に水飲み場がなかったり、飲料を持ち込めるというルールがなければ、実効性は低いわけです。社員のリテラシーを上げるだけでなく、上げたリテラシーを活用する場を用意すること。そして、どこで何を提供するのかを明らかにし、困ったら利用していいよという道筋をつけることが鍵になります」(五十嵐さん)

 体の痛みの場合、評価が難しい。部位や症状の程度などは個人差が大きく、人により効果的な対策や治療は異なる。マッサージかもしれないし、医師の治療かもしれないし、市販の湿布薬かもしれない。

 「予防も大事ですが、すでに症状が出ている人に対して選択肢をいくつか用意し、実質的なインフラ整備をしていくことがポイントになるでしょう。腰痛、肩こり対策については、社外のクリニックに行くよりも、社内診療所で対応できるようにするなど、少なくとも社内に相談窓口があるなどが現実的な対策かもしれません」

 また、今後注目したいのが、社員の健康を促す最高健康責任者である「チーフ・ヘルス・オフィサー(CHO)」や「チーフ・ウェルネス・オフィサー(CWO)」といった役職だ。ロート製薬、ローソン、DeNAなどが導入しているが、まだまだ例は少ない。

 「健康経営では、これまでの古い価値観を捨て、社員の健康に投資することで、生産性やモチベーションの向上、医療コストの削減など、企業価値を高める効果が期待できるという視点を持つことが重要。経営陣に対して、『やたらと仕事を強要するのは、結果的に損失になる。だから、会社のリソースを健康経営に割きましょう』と一歩進んだ提言を行うには、産業医や健康保険組合からのアドバイスでは弱く、やはり専任の担当者が必要です。この2つを両輪にして、実践可能な痛み対策の導入を図っていく必要がありますね」(五十嵐さん)

 日本人に多い疾患である腰痛・肩こりは労働生産性を大きく下げ、企業の経済損失につながることが明らかになった。個々人としては、そうした痛みを我慢してもよいことはないと自覚し、治療をすることが大切だ。また企業が健康経営に取り組む上で、何から始めていいか分からない場合には、ここで示したデータや五十嵐さんのアドバイスをぜひ参考にしてほしい。

(図版作成 増田真一)

五十嵐中(いがらし あたる)さん
東京大学大学院薬学系研究科医薬政策学 特任准教授
五十嵐中(いがらし あたる)さん 2008年東京大学大学院薬学系研究科博士課程を修了し、現職。2010年より医療経済評価総合研究所代表。専門は医療統計学、医療経済学、薬剤経済学。