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プロ野球初の50歳投手、山本昌の人生を変えたトレーニングとは?

引退した“長寿”投手の挫折と復活

 寺西 芝=日経Gooday

ノーヒットノーランのプロ野球最年長記録保持者、通算219勝、50歳1カ月での先発登板は自らの記録を更新する日本最年長記録。数々の記録を打ち立て、現役を引退するプロ野球中日ドラゴンズの山本昌投手(本名:山本昌広)。前回に続いて、選手としての「長寿」の秘密を探ってみた。

さらなる挫折とその後の出会い

 翌95年はケガに悩まされ、わずか12試合に登板しただけの2勝止まり。この年のオフには左ひざの手術を受けるのだ。

 次に二ケタ勝利(18勝)を挙げる97年まで、山本昌は苦しむことになる。

 そんなとき、鳥取市のトレーニング研究施設「ワールドウィングエンタープライズ」の代表である小山裕史氏に出会う。小山氏といえば、イチローなど一流野球選手のみならず、ゴルフやサッカー、テニスなどの分野でも多くの有名選手が師事していることで知られる人物だ。

 95年、二軍で膝のリハビリをしていたとき、ナゴヤ球場のトレーニングルームに小山氏のワールドウィング社が提供するマシンが導入され、山本昌はその性能にほれ込んでいた。このマシンで体調が確実に上がることを実感し、その年のオフに鳥取に飛んで小山氏を訪ねたのだった。

小山氏の著書『初動負荷理論による野球トレーニング革命』(ベースボール・マガジン社)

 山本昌は小山氏が考案した「初動負荷」と呼ばれるトレーニング理論に出会う。これは、身体の動きの基本を重視し、潜在能力を最大限に引き出すことを目的とした理論とトレーニング法で、これにより、山本昌の膝は完全に回復する。

 小山氏との出会いについて、小山の著書『初動負荷理論による野球トレーニング革命』(ベースボールマガジン社)で山本昌はこう語っている。

 「僕が小山先生と出会ったのは1995年暮れ。左膝を手術した直後のことです。年齢的に30歳を超え、いつまで投げられるのかという将来への不安もあった頃でした」

 小山氏との出会いで山本昌は生まれ変わったとも言える。まず、山本昌の独特のあの投球フォームだ。これまで自分では格好悪いと思っていたフォームを小山氏は「美しい」と褒めたという。小山氏は、山本のフォームに独特の柔軟さを見ていたのかもしれない。

 上記の小山氏の書では「腕の筋肉の柔軟性の増大」「腕の筋肉の弾力性の獲得」という言葉が散見される。柔軟で弾力性のある筋肉を作るという目的が合致したのだろうか。これ以降、小山氏とのトレーニングは続き、山本昌は柔軟性と強さを併せ持つ動きを獲得するようになる。

山本昌の復活を支えたトレーニングとは?

 では、山本昌を変えたトレーニングとは、実際にどんなものなのだろうか。

 実は、ワールドウィング社が指導提携契約している施設が全国各地にある。それぞれの施設では、鳥取の本部で研修を修了したスタッフが指導をしており、小山氏が考案したトレーニング理論に出会えるチャンスは意外と身近にあるのだ。

 もちろん、長年かけて編み出された小山氏の理論を一朝一夕に理解できるわけではないだろう。しかし、マシンを体験することでその片鱗に触れてみたいと考え、トレーニングを体験してみることにした。

 記者が訪問したのは、ワールドウィング社の最新式のマシンを導入したジムだ。ジムでの体験で一番特徴的だと感じたのは、マシンの手でつかむ部分や、足を載せる部分が可動式になっていることだった。手足の様々な部位が伸びるように工夫されているようで、他のジムにある一般的なマシンと比べると、より幅の広い動きができるようになっている。まるでストレッチをしながら筋力をつけているみたいな感覚で、各種の競技で実際に求められる動きと同様の動作でトレーニングが可能であろうことも実感できた。

 実は、これらのマシンはイチローも使っている。ヤンキース時代のイチローの記事がウオールストリートジャーナルに取り上げられたことがあった。そこでイチローはこう語っている。

 「従来の筋トレ用マシンでは特定の部位が強化されるだけだが、このマシンだと全身が同時に鍛えられる」(2013年3月5日ウオールストリートジャーナルより)

 確かに、他のマシンだとある部分を鍛えるだけの直線的な動きに思えてしまう。イチローがあのように言うのも分かる気がした。

「真のエース」ではなかった

 山本昌に話を戻そう。柔軟な思考の上に、最良のトレーニングパートナーを得て、山本昌は見事に復活した。

 97年には18勝と二ケタ勝利を挙げる。2000年に11勝、2001年10勝。これ以降は、2004年13勝、2006年11勝、2008年11勝と2年に1回二ケタ勝利を挙げるペースだ。

(Ievgen Onyshchenko/123RF.com)

 エース級、エース格と言われながらも、「真のエース」ではなかったと自著『山本昌という生き方』で語っている。確かに、2年に1回2ケタ勝利では「真のエース」と言えないかもしれない。また。ドラゴンズにはいずれの時期にも、今中慎二、野口茂樹、川上憲伸、吉見一起といった、誰もが認めるエースたちが君臨していた。

 それでも山本昌は努力をやめなかった。華々しいエースの影に隠れてはいても、地道に努力を続けてきた。その結果が、他球団を含めどんなエースもなし得なかった「41歳1カ月でのノーヒット・ノーラン」「50歳1カ月での登板」という、“日本最年長”の冠が添えられた勲章なのだろう。