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本当に恐い母乳のネット購入

汚染に加え、様々な病原体もノーチェックで混入

 大西淳子=医学ジャーナリスト

 「母乳は乳児にとって完璧な栄養だから、生後6カ月までは極力母乳で育てることが望ましい」

 そう言われても、それができない母親は少なくありません。出産すればだれでも、乳児の成長に必要な量の母乳が出るわけではなく、また、何らかの理由で早期に断乳を余儀なくされる場合もあります。

 そんな時、日本では安全な粉ミルク(乳児用調製粉乳)が利用できます。市販されている粉ミルクは、原料である牛乳の成分を強化、除去などして、組成を母乳に近づけ、衛生的な環境で製造されている、優れた代替品です。

行き過ぎた母乳神話に支えられる母乳売買

病原体のチェックも厳重な品質管理もされていないネット販売の母乳を子どもに与えるのは危険です。(©evan66-123rf)

 先頃、日本でインターネットでの母乳の売買が行われているという新聞報道がありました。記事にはネット販売されている母乳の質の低さを示す検査の結果も載っていました。しかし、この報道の後も、ネットでの母乳売買は続いています。

 確かに母乳には粉ミルクに優る利益があります。母乳は粉ミルクより効率よく消化吸収され、ミルクには含まれていない、生きた白血球や、免疫物質、消化酵素、生体活性物質などを含みます。さらに近年、母乳育児の効果は成長後にも見られる、という報告が相次ぎました。母乳で育った子どものほうが、認知機能が高い、特定の病気を発症しにくい、成人後に肥満や高血圧などになりにくい、といった研究結果です(*1)。

 そのせいか、母乳信仰に翻弄される母親が世界的に増えており、並行して母乳のネット売買が盛んになっているようです。しかし、この事態に心を痛める専門家も少なくありません。ネットで販売されている母乳には、子どもの健康を大きく損なう危険性があるからです。

搾乳され凍結保存されているだけ、高い汚染リスク

 英国医師会(BMA)が発行している専門誌「British Medical Journal(BMJ)」で、英国London大学のSarah Steele氏らが、インターネットで販売されている母乳の問題点を概説しています(BMJ誌電子版2015年3月24日付 *2)。

 以下は、Steele氏らの主張の要点です。

*1  WHO. Evidence on the long term effects of breastfeeding, 2007 http://whqlibdoc.who.int/publications/2007/9789241595230_eng.pdf
*2 Steele S, et al. Risks of the unregulated market in human breast milk. BMJ 2015;350:h1485 doi: 10.1136/bmj.h1485

 先進国では、子どもに十分な母乳を与えられないと気づいた母親の4人に3人が、インターネットを利用して対応策を探している。ネットには、母乳至上主義的な情報や、粉ミルクの欠点を強調するような情報が散見されるとともに、母乳の売買を斡旋するサイトも複数認められる。そうしたサイトは、母乳購入に伴うリスクを告知していないが、実際には、子どもの健康が脅かされる危険性が高い。

 母乳のネット市場は、特に米国で急速に拡大している。利用者は主に、母乳バンク(後述)を利用するための条件は満たさないが、完全母乳育児をめざす母親だ。このほか、がん患者や、体を鍛えることに熱心な男性なども含まれるようだ(そうした人々に対する母乳の利益は不明)。

 母乳バンクは、病原体が母乳に移行する病気に罹っていない提供者を選び、母乳を低温殺菌することによって安全性を高めている。しかし、ネットを通じて販売される母乳は、搾乳され凍結保存されているだけであるため、購入した母乳に起因する感染症が発生する可能性や、母乳が細菌に汚染されている可能性、母乳に何かが加えられている可能性がある。

 実際に、ネット購入した母乳中の21%がサイトメガロウイルス陽性だったと報告している研究がある。また、ネット販売されていた母乳101パックのうち92パックから細菌が検出されたという。搾乳時の衛生状態や、保管と輸送の環境が悪いことが、細菌の増殖を引き起こすと考えられる。

 さらに、妊婦が飲酒、喫煙をしていても、カフェインを含む飲料を多飲していても、購入者には知るよしもない。アルコール、ニコチン、カフェインは母乳に移行する。

 販売されていた母乳からビスフェノールA(後述)や処方薬、違法薬物が検出された例や、体積を増やすために水や牛乳、豆乳などが加えられていた例も報告されている。

Steele S, et al. Risks of the unregulated market in human breast milk. BMJ 2015;350:h1485 doi: 10.1136/bmj.h1485

提供者の肝炎ウイルス、HIV、梅毒なども母乳に移行

 母乳は、非常に簡単に言ってしまえば、赤血球を含まない血液のようなものです。輸血によって感染する病気があること、ゆえに、献血された血液は様々な検査や処理を経て患者のもとに届くことはご存じでしょう。安全性を考えるなら、母乳も同様に扱う必要があり、搾乳方法とその後の保管環境を考えると、低温殺菌も必要と考えられます。

 提供者の女性が感染していると母乳に病原体が移行する可能性があるのは、サイトメガロウイルス(CMV)、B型肝炎(HBV)、C型肝炎(HCV)、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)、ヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV)、梅毒(病原体は梅毒トレポネーマ)、風疹ウイルス、エプスタイン・バー・ウイルス(EBV)、ムンプス(おたふく風邪)ウイルス、水痘帯状疱疹ウイルス、単純ヘルペスウイルス(HSV)などです。HIV感染については、現在のところ、薬物療法でエイズ発症を抑制することはできますが、完全に直す方法は確立されていません。HTLVに感染すると5%程度が白血病になります。サイトメガロウイルスは、早産児が感染すると深刻な症状を引き起こす可能性があります。

セシウムやダイオキシンも母乳に移行

 やや忘れられた感がありますが、2011年6月に公表された、厚生労働科学研究事業「東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故による母乳中の放射性物質濃度評価に関する調査研究」班の調査結果を聞いて、不安になった女性は少なくなかったはずです。母乳中にわずかながら放射性物資(セシウム)が検出されたが、子どもの健康には影響しないという報告でした。

 こちらも最近話題になりませんが、ダイオキシンも母乳に移行します。体内に蓄積され、がんや生殖機能の異常を引き起こす可能性があるとして、1990年代にはずいぶん話題になりました。日本でも厚生科学研究「母乳のダイオキシン類濃度等に関する調査」が1998年に行われました。

 先ほど紹介した英国の論文でも触れられていたビスフェノールA(BPA)は、環境ホルモン(環境にあり、体内に入るとホルモンと同様に作用する物質)として知られています。ポリカーボネート樹脂やエポキシ樹脂製の容器から溶け出すため、ポリカーボネート製ほ乳瓶の使用を禁じている国が複数あります。また、母乳に移行することも示されています。

 内閣府食品安全委員会の「食器などのプラスチック製品に含まれるビスフェノールAに関するQ&A」には、「ヒトがBPAに曝露されて生殖発生や発達に悪影響が及んだという直接的な証拠はないが、実験動物におけるBPAの低用量曝露による影響については、生殖発生、神経発達、免疫系に及ぼす影響を示唆する知見が多数報告されている」とあります。

早産児や低出生体重児の病気予防を目的とした母乳バンク

 日本でも、2014年10月に母乳バンクが正式に業務を開始しました。昭和大学江東豊洲病院の小児内科の水野克己氏が立ち上げた母乳バンクの目的は、早産児の病気の予防です。母乳の利益は早産児や出生体重が少ない新生児において特に大きく、命にかかわる壊死性腸炎や、失明に至ることもある未熟児網膜症、慢性肺疾患、感染症などの発生率を減らす効果が期待できます。

 母乳提供者は、江東豊洲病院で出産した女性と、同病院の外来に通院している女性に限定されています。飲酒、喫煙の習慣や感染症に関する調査と血液検査を行い、条件を満たした人から無償で提供を受けます。低温殺菌処理と病原体の検査を行った後に、母乳は冷凍保存されます。

母乳でなくてもいい子は育つ

 母になった女性の多くが「いいお母さんになりたい」と強く思います。でも、「〇〇でなければ」と理想を高く掲げすぎると苦しくなってしまいます。母乳でなくてもいい子は育ちますし、ネット売買されている母乳は子どもにとってあまりにリスクが高いことを心にとどめてください。困ったことがあったら、保健師さんをはじめとする専門家に相談してみてください。相性のいい人に話を聞いてもらえば、心が安らぐかもしれません。

■参考資料
「妊娠・授乳と薬」対応基本手引き(改訂2 版) 2012 年12月改訂 社団法人 愛知県薬剤師会 妊婦・授乳婦医薬品適正使用推進研究班 発行