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医師が語る、3月に自殺者が増えるのはなぜ?

自殺について考える(上)

 田村知子=フリーランスエディター

3月は例年、月別自殺者数が最も多くなることから、厚生労働省は「自殺対策強化月間」と定めている。3月に自殺者が増えるのはなぜか。人はどんなときに自殺を考えるのか。身近な人が「死にたい」と言葉にしたとき、私たちはどのように対応すればいいのか。日本自殺予防学会理事長で、帝京大学医学部附属溝口病院精神神経科教授の張賢徳さんにお話を伺った。前編では、3月に自殺者が増える要因や、人が自殺を考えるプロセスについて解説する。

3月の自殺には特有の心理が影響する

自殺を考え、実行してしまう人と踏みとどまる人の違いには、精神疾患の重症度のほかに、個人のパーソナリティーが大きく影響しているようです。写真はイメージ=(c)Felix Renaud-123RF

3月は1年の中で最も自殺者数が多くなっています。なぜ、3月に自殺者が増えるのでしょうか。

 月別の自殺者数はその時代によっても変わってくるのですが、厚生労働省が発行している「平成29(2017)年版自殺対策白書」の「月別自殺者数の推移」を見ると、近年はほとんどの年で3月、次いで5月に自殺者が多くなっていることが分かります。

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※「平成29(2017)年版自殺対策白書」より

 この現象には、いくつかの要因が考えられます。一つは、3月は自殺につながりやすい心理的な効果が働くことです。そもそも自殺を考える人のほとんどは困り事を抱えていて、精神科で診断がつくレベルのうつ状態になっています。これについては後で詳しく説明したいと思いますが、そうした精神状態にあるところへ、3月は年度末となることから追い立てられるような心境に拍車がかかり、「死ぬしかない」という思いに駆られやすいのです。

 さらに、年度末には現実的な問題が生じることも多くなります。例えば、会社員の人では年度末は繁忙期でもあり、残業や休日出勤が多くなると、睡眠などの心身を休める時間や、家族・友人とのコミュニケーションの時間も十分に取れなくなります。自営業の人では、取引先への支払いや借り入れ金の返済を迫られるといった問題も起こってくる。そうした状況が「最後の一押し」となってしまうこともあります。

 また、冬の間は気持ちが沈みがちでも、3月になると春の日差しが訪れることで、気分が華やいでくるのを感じる人も多いと思います。ところが、うつ状態にある人は、そうした周囲の華やぎと自分との間にギャップを強く感じてしまい、疎外感や孤独感が深まってしまうことが、100年以上前から指摘されています。海外でも特にヨーロッパでは同様の指摘があり、やはり春に自殺者が多いことが知られています。

一般的に、春は自律神経のバランスの乱れから、メンタル不調を起こしやすいといわれていますが、そうした影響もあるのでしょうか。

 医学的な範囲に限って考えると、それが大きな要因だと思います。自律神経には、体を活性化させるときに優位になる交感神経と、体を休めるときに優位になる副交感神経があり、日の出と日の入りがスイッチとなって、そのバランスが保たれています。私たち人間の体は動物と同じように、冬と夏とでコンディションが異なります。その変わり目となるのが春と秋で、その時期には体の変化とともに、自律神経のバランスも乱れやすくなるんですね。

春は就職や転職、異動や転勤、引っ越しなど、環境の変化からメンタル不調に陥ることもありそうです。

 確かにそうですね。ただ、そういった環境の変化によるメンタル不調が自殺につながってくるのは、5月ごろになると考えられます。3月に環境の変化が起こると、その状態に慣れるために懸命に頑張ります。それから少したつと日本ではゴールデンウイークを迎えるため、そこで張りつめていた緊張の糸がプツッと切れてしまい、いわゆる「五月病」と呼ばれるうつ状態を引き起こし、自殺につながることがあります。つまり、3月に次いで5月に自殺者が多いのは、こちらの要因が大きいことがうかがえます。

 余談ですが、環境の変化の中でも引っ越しは特に、うつのトリガー(引き金)となることが知られています。引っ越しの準備から新しい環境に慣れるまで緊張が続いたあとに、ふっと気が抜けることでうつ状態を引き起こす。このような現象は「荷下ろしうつ」と呼ばれています。同様の心理が働くものでは、受験に受かったあとに起こる「合格うつ」、昇格したあとに起こる「昇進うつ」などがあります。合格も昇進も喜ばしいことですが、人によってはそれまでの努力が報われたと同時に、プレッシャーや責任を感じてしまうことがあるんですね。

自殺に至るまでにはプロセスがある

これまで伺ってきたような状況に陥ったとき、自殺を考え、実行してしまう人もいれば、踏みとどまる人もいます。その選択の違いには、どのような背景があるのでしょうか。

 1つには、うつ病をはじめとする精神疾患の重症度が挙げられます。先ほど、自殺を考える人のほとんどは精神科で診断がつくレベルのうつ状態にあるとお話ししましたが、WHO(世界保健機関)が公表しているデータによれば、自殺者の実に約97%が、何らかの精神障害の診断がつく状態であったことが分かっています。

 そのうちの約3割を占めるのが、うつ病を含む気分障害。次いで、薬物やアルコール依存などの物質関連障害、統合失調症、パーソナリティー障害の診断が多くなっていて、これらが自殺に関連する4大精神疾患といわれています。また、これらは主たる診断の統計で、重複診断も含めると、自殺者の約7割がうつ病の診断がつく状態であったというリポートもあります。

 ただし、人が自殺に至るまでにはプロセスがあり、ある日突然、うつ病を発症するわけではありませんし、うつ病を発症したすべての人が自殺するわけでもありません。何らかの出来事(ライフイベント)をきっかけにうつ状態になった人は、「トンネル・ビジョン」と呼ばれる心の視野狭さくが起こっています。その状態が数カ月も続いていくと、さらに視野が狭くなり、「私はもう死ぬしかない」という気持ちに追い込まれて、自殺のプロセスが進行していく。第三者が客観的に見れば、その人が抱えている問題を解決する方法は必ずあるはずなのですが、本人にはほかの選択肢が見えなくなってしまうんですね。このプロセスを表したのが、下記の図です。

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※張賢徳さん作成の図を基に編集部が作成

 図を見ていただくと分かるように、うつ状態にあるときに家族や友人、職場の仲間などから適切なサポートを受けられれば、トンネル・ビジョンを脱することが可能です。また、最終段階では先ほどお話ししたように、うつ病などの精神疾患の診断がつくレベルのケースがほとんどですので、精神科での治療やそこにつなげるサポートが必要になってきます。つまり、適切なサポートの有無も自殺をするかしないかの選択につながるといえます。このサポートについては、後編で改めてお話ししたいと思います。

 ここでもう1つ重要なのは、自殺を考え、実行してしまう人と踏みとどまる人の違いには、精神疾患の重症度のほかに、個人のパーソナリティーが大きく影響するということです。

 個人のパーソナリティーを形成するものには、家庭や学校、友人・仲間といった要素がありますが、その根底には、その人の信念や宗教観、自殺を含めた生死に関する文化・社会通念があります。

無宗教の国は自殺率が高い

確かに、自殺を罪とする宗教もあるので、そうした信仰を持つ人は、自殺を思いとどまれるのかもしれませんね。

 そうなんです。これについても、WHOが興味深いデータを公表しています[注1]。世界の国や地域の自殺率を宗教圏別にまとめたデータで、これによると無宗教と見なされる国や地域の自殺率が圧倒的に高く、次いで仏教、キリスト教、ヒンズー教で、最も低いのがイスラム教の順になっています。自殺というデリケートな死因のため、そのすべてが報告されているわけではないことが考えられますが、教義で明確に自殺を禁じている宗教圏では自殺率が低い。一方、無宗教の次に自殺率が高い仏教は、自殺を明確には禁止しておらず、「極楽浄土」「輪廻(りんね)転生」といった思想から、自殺を誘発する懸念があることが指摘されています。

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※A global perspective in the epidemiology of suicide:suicidologi 2002掲載のグラフを基に作成

 こと日本に関しては、無宗教もしくは仏教の方も多く、自殺を含めた生死に関する文化・社会通念にも、自殺を誘発しやすいベースがあると考えられます。私はこの生死に関する文化・社会通念が、自殺に対する心理的な閾値(いきち)に最も影響するのではないかと思っています。

それはどういうことでしょう?

 例えば、時代劇では切腹のシーンがしばしば見られますよね。あれも自殺の一種ですが、美化されて描かれることが多いので、自死に対して罪悪を感じるよりも、むしろ自死をもって責任を取ることへの称賛や憧れのような気持ちを抱くことがあります。そうしたいわゆる「切腹文化」の名残が、自殺に対する心理的な閾値を低めているように思うのです。

 というのも、日本では自殺に対して、「そうなってしまったことは気の毒だけど、最終的には本人が決めたことだから仕方がないよね」という考えを持つ人が少なくありません。しかし、繰り返しになりますが、自殺者のほとんどは、精神科で診断がつくレベルのうつ状態になっていて、客観的な判断ができなくなっていますから、本人が冷静に自殺を決意したわけではありません。だからこそ、自殺に至ってしまう前に、サポートすることが重要なのです。

 かつての日本ではこのことがあまり理解されず、自殺予防対策がなかなか進まない現状がありました。しかし、1998年に前年の自殺率を35%も上回り、自殺者が3万人を超えたことをきっかけに、国を挙げての自殺予防対策が進められることになりました。

◇  ◇  ◇

 後編「身近な人に『死にたい』と言われたとき、できること」では、日本で自殺予防対策の取り組みが進んできた背景と、身近な人が「死にたい」と口にしたときに、それを防ぐ「ゲートキーパー」の役割を果たすための対応の仕方を解説する。

[注1]A global perspective in the epidemiology of suicide:suicidologi 2002

(ライター 田村知子)

張 賢徳(ちょう よしのり)さん
帝京大学医学部附属溝口病院精神神経科教授
1991年東京大学医学部卒業後、帝京大学医学部附属市原病院・本院で臨床研修に従事。97年英国ケンブリッジ大学臨床医学系精神医学博士号取得。同年帝京大学市原病院精神神経科講師、99年同大学溝口病院精神科神経科長・講師、2004年同科長・助教授、08年同科長・教授。川崎市や横浜市の自殺対策事業など公的活動に積極的に参画。日本自殺予防学会理事長。