終末期の人との接し方 相手が望む話の聞き方とは?
「今日が人生最後の日だと思って生きなさい」著者に聞く(2)
西門和美=フリーライター
家族や友人が苦しんでいるとき、私たちにできることは何だろうか。「力になりたい」と思うほど、何かいいアドバイスをしなくてはと思いがちだが、それよりもっと大切なことがあると、2800人以上の看取りを経験し、人生の最期を見据えた人と対話をしてきた医師・小沢竹俊さんは言う。そんな小沢さんに、苦しんでいる人に「この人は自分の理解者だ」と思ってもらえる方法について聞いた。その考え方は、看取りの現場だけでなく、様々なシーンで役立つはずだ。

苦しんでいる人が求めるのは「自分を分かってくれる人」
人生の最期が近づき、苦しんでいる人がいる。そんなとき、私たちにはいったい何ができるのだろうか。
「『力になりたい』と思えば思うほど、相手に対してアドバイスや励ましをしたくなるもの。でも、苦しみにとらわれて目の前が真っ暗になっている人にとって、それは本当にうれしいことなのでしょうか」と小沢さん。
例えば「生きていても仕方がない」と落ち込む人に、「人の命は地球よりも重くて大切なんですよ」「生きたくても生きられない人だっている。元気を出しましょう!」と言ったところで、「あなたに何が分かるの?」と反発されても無理はない。相手に「理解されていない」と感じられ、心はすれ違ってしまう。では、どうすればいいのだろうか。
相手を理解するのと、相手に理解者だと思われるのは別物
相手を観察したり想像したりして、「私は相手のことを理解できた」と感じることもあるかもしれない。そんなとき人は、「言わなくても分かっているよ」とばかりに、相手の話に耳を傾けなくなるものだ。しかしこの態度が、相手が望むものであるかどうかは疑わしい。
「現実には、相手を100%理解することは不可能です。しょせんは他人であり、まったく同じ気持ちを共有することはできません。つまり、『私が相手を100%理解できる』可能性はゼロなんです」と、小沢さん。
その一方で、「相手が私のことを理解者だと思う」ことについては、可能性が残されている。相手から「私のことを分かってくれる人だ」と思ってもらえたなら、それは、実際に理解できることと同じくらい価値があることかもしれない。
では、苦しんでいる相手が「この人は私の理解者だ」と思うようになるには、どうすればいいのだろうか。
そのためには相手に「私のことを分かってくれた」と思ってもらえるような話の聞き方をすることが必要だ。苦しんでいる人は、人に伝えたい何かを抱えている。ただしそれは、誰にでも話せるわけではない。「自分のことを分かってくれそうな人」を選んで打ち明けるのだ。
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