
こうした現状に対し、訪問看護の事業者団体からも、訪問看護は医療保険のサービスとして介護保険制度の給付限度額の枠の外で利用できるようにしてほしい、と働きかけをおこなってはいます。しかし、訪問看護のシェアが拡大しない背景には、看護側の問題もあります。
訪問看護は、看護師が所属する病院やクリニック(診療所)に通院する患者さんに提供される医療機関からのものと、医療機関に所属しないフリーの看護師が集まった訪問看護ステーションから提供されるものがあります(ただし、訪問看護ステーションからのサービスを受けるには、かかりつけ医や病院からの訪問看護指示書の交付が必要です)。
医療機関からの訪問看護は時間が限定され、どちらかというと診療補助的なものが多いですが、訪問看護ステーションからの訪問看護は基本的に24時間連絡がとれる体制で、ひとつのステーションに勤める訪問看護師の数も多くないのでボランティア精神がないとなかなか務まりません。開業するにあたっては、3人以上の看護師確保が絶対条件ですし、給料をきちんと払っていくためにはボランティアとばかりは言っておられず、経営も考え営業もしなければなりません。
最近はステーション同士が連携をとることも増え、経営難で閉鎖する事業所は減りましたが、なかなか増えていかない現状です。
そもそも看護とは
訪問看護は在宅“医療”の枠組みのなかで語られることが多いのですが、本来看護の役割とは医療を使って患者さんを支援することではありません。確かに看護師は医師の指示に基づいて医療行為をおこなうこともできますが、療養上の世話(ケア)である「看護」をおこなう専門職なのです。
ナイチンゲールは著書「看護覚え書」のなかで、病気は生体の回復作用であると述べているのですが、私は「看護は、この『回復作用』を妨げる原因を取り除けるよう、あらゆる環境を整備することで回復を促すことであり、さらに、これを患者自身でできるようになる過程を、さまざまな技術や資源を使って支援することである」と解釈しています。
たとえば、私たち訪問看護師がご自宅に伺い患者(利用者)さんの床ずれをみれば、ご家族がどういう介護方法をとっているのか、どこに圧がかかっているから生じたのかがわかります。そして患者さんの生活状況を見て、正しい介護方法をお伝えすることで床ずれを治し、予防することができます。もし、皮膚科を受診して一時的に傷が癒えても、生活の場を見ないままでは根本的な解決にはなりません。
ただ医師の指示を受けて動くだけでなく、患者さんの生活をみて、ご本人やご家族が安全・安心に生活できる環境を一緒に考え整えながら、一方で医療依存度を下げていく、それが訪問看護の役割なのではないかと思います。しかし、すべての訪問看護師や訪問看護ステーションがこのような考えで活動しているわけではないため、なかなか訪問看護の重要性が伝わらず、結果的にシェアが拡大していかないのです。
私は漢字の“命”は生命そのもの、ひらがなの“いのち” は生活や人生、その人らしさを意味するものとして2つの表記を使いわけているのですが、介護とは“いのち”のバトンリレーの時間だと思っています。「私はしあわせだ」と言って旅立った姿が家族のこころに温かい思い出として染みわたるように記憶されていく、その記憶が残された家族のこころのなかに人生の温かい灯となって生き続ける、それが本来の介護の意味合いではないかと思うのです。
だから、訪問看護師が家族のもとに届ける医療は、 “介護(バトンリレー)をしやすくするための手段としての医療”でなければなりません。決して単に医療を届けることが役割ではないはずです。
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