ピーコこと杉浦克昭さん。 ファッション評論家、タレント、シャンソン歌手と いくつもの「顔」を持ち、メディアで活躍するピーコさんは1989年、眼のがんにかかりました。 当時44歳。まさに働き盛りのピーコさんの左目を襲ったのは、30万人にひとりという悪性腫瘍。 ショービジネスの世界で最前線に立っていたピーコさんは、決断を迫られます。 仕事とがん治療とをどう両立させるのか。 自分の未来に「がん」が立ちふさがったとき、何が救いとなるのか。 働き盛りのみなさんにこそ、読んでほしい。 がんと向き合い、がんと共に生き、働き、 がんと決別したピーコさんの言葉です。
がんと診断されても、ピーコさんは、それほど動揺していないつもりでした。しかし、おいしいはずのうなぎのかば焼きを食べても、まったく味を感じないことから、実は強いショックを受けていると気づきます。
メラノーマは皮膚にできる悪性腫瘍。皮膚がんの一種です。あまり聞いたことのない言葉でしょう。罹患率は30万人にひとりというかなり珍しい病気です。わたしは、たまたまメラノーマにかかった友だちがいたから知っていたんです。
検査を終えると、佐伯先生は言いました。
「まず、家族を呼んできてください」
「来てません。今日はわたしひとりです」
「わかりました、じゃあ、あなたに話しましょう。目医者としては、あなたの目を摘出したくないけれど、放っておくと、左目の腫瘍が視神経から脳に転移し、さらには全身に転移する恐れがあります。するとからだが真っ黒になって死んでしまう。だから取ることをおすすめします。もし、入院する場合は、部屋が空いたらご連絡します。まずは、どうするか帰ってご家族と相談してください」
わたしは即座に言いました。
「先生、わたしの左目、取ってください。目は2つあります。ひとつなくなっても、もうひとつはまだ見えるんでしょう」
ほう、と、佐伯先生、感心したように声を上げました。
「うむ、あなたのように男らしい人はなかなかいない」
「告知されてショックなんだ」
わたしに男らしいだなんて、と内心苦笑していたくらいですから、その時はあまり動揺していませんでした。
少なくとも自分ではそう思っていた。この日も一番ショックだったのは、がんを告知されたことじゃなくて、夜約束していたとあるお気に入りのスターとのお食事をキャンセルしないといけなかったこと、だったくらいですから。
でもね、そう思っていたのは表面だけで、やはりかなりショックを受けていたんですね。 夕方、病院をあとにして、小田原のうなぎ屋さんで食事をしたんです。ところが、おいしいかば焼きをいただいたのに味がしない。「砂を噛むような」という表現があるけれど、まさになんの味もしない砂をじゃりじゃりとただ噛んでいるような感じ。味覚が働いていない。そこで、はじめて実感しました。
「あぁ、わたし、やっぱり、がんなんだ。告知されてショックなんだ」って。
国立がん研究センターがん対策情報センター編
『わたしも、がんでした。 がんと共に生きるための処方箋』 (日経BP社、2013年9月発行)より転載。
ファッション評論家・シャンソン歌手・タレント

『わたしも、がんでした。 がんと共に生きるための処方箋』
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医学の進歩によって、「がん=迫りくる死」ではなくなっています。実はかなり多くの人が、がんと共に社会で暮らしています。しかし、がんと共に生きることや働くことは、日本社会ではまだまだ普通のことと思われていません。がんと共に生きるとは、働くとは実際にはどういうことなのか。それを知っていただくために、本書ではがんに関わる当事者の方々に語っていただきました。──「はじめに」より
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