鬼編集長の業務命令で、「2年でシングルを目指す」という途方もない目標のゴルフ企画を担当することになった40代記者。山口信吾先生から課せられた体の柔軟性のチェックをクリアした後に、いきなりコースをラウンドすることになった。さてその顛末はいかに。
身の程をわきまえずに〝大上段″から語り始めることをお許し願いたい。
ゴルフはつくづく自分の“心との闘い”である。
ライバル仲間とのラウンドであれば、1ヤードでも遠くに飛ばし、1打でも相手を上回るスコアで上がりたい。女性を交えたグループならば男っぷりを上げたく、大勢が見つめるコンペの1番ホールではビッグドライブ(予想を超える距離のショット)を放ち、「おぉ~、ナイスショ~ット!」の声を薄々望んでいる(…に違いないでしょ?)。
だが、かの世界ゴルフ殿堂の1人であるアーノルド・パーマー(傘のマークでおなじみのブランド名をご存じの方も多いだろう)氏は、こう言った。
「ちょっとした見栄が、ゲームを台無しにする」

13年半ぶりに立ったティーグラウンド(これまでの経緯は、「13年ぶりにクラブを手にした40代オヤジでもシングルになれる!?」をご参照ください)。山口信吾先生の前での実技試験であることに加えて、会心のショットを狙うカメラのシャッター音がとてつもなく記者の緊張感を高める。西宮高原ゴルフ倶楽部のINスタート(10番ホール)は、左の林に打ち込んだらOB、右に曲げたら谷底OB…である。遠く正面に見える木を目標にして、心で祈りながらバックスイング(スイングのためにクラブを後ろに振り上げること)に入った。
「でも、グッドマナーです(うふふっ)」
ビューン、カッキーンという鋭いスイング音と打球音が交わった瞬間、記者は確信した。
「フオア~ァァァァ~~~~」
会心だったのは、ショットではなく大声の方であった。優しいキャディーさんが、「あっちは谷ですから、叫ばなくても大丈夫ですよ。でも、グッドマナーです(うふふっ)」と労わってくれた。
気を取り直して、OB後の打ち直し第3打。リラックスしながら呼吸を整えて今度こそ。
ヒュン、キーーーン。
ボールは“カミソリ”のような切れ味の魔球となって谷底へと消えていった。たとえが古くて恐縮だが、まるで元読売ジャイアンツの大エース、西本聖選手の全盛期のシュートをも凌ぐ、見事な“ど・スライス”(右に大きく球が曲がること)だった。振り向くと、山口先生は青空を遠く見上げ、カメラマンは「渋柿」を食べたような顔でうつむいていた(と記憶している)。出だしから痛恨の2連続OBである。
その後のラウンドは、読者の皆さんのご期待通りであった。歓喜、祈願、苦悩、決心、困惑…。自分の心と闘い続けた18ホールの様子は、まあ次のような感じだ。
ドライバー(1W)で250ヤードも飛ばしかたと思えば、残り90ヤードでアイアン(9I)を強く振りすぎてグリーンを大きくオーバー。バンカーからはすべて一発で脱出させたのに、グリーンそばからカップに寄せる短いアプローチではダフリ(*1)やチョロ(*2)をしでかす。10m超のパットであわやバーディの絶妙タッチを見せたのに、わずか2mのパットで行ったり来たり。
結果から言えば、まるで“冷凍保存”でもされていたかのように、13年前と変わらない自分のゴルフがそこにあった。どうしてゴルフ連載の担当なんかになってしまったのだろう…。ラウンド中も心が揺れるたびに、悔しいかな鬼編集長の顔が現れるのである。
「わっはっは~。いいぞお前、その調子で連載も笑わせてくれ」
シングルを目指して意気揚々だった記者の姿は、ラウンド後はまるで『借りてきた猫』だったそうだ。朝は希望と活力に満ち溢れた“百獣の王”のライオンごとき勢いは、もはや風前の灯のごとし。「ライオンが猫になった」のだから、噺家ことばを借りれば“そいつぁ、穏やかじゃねぇ”てな具合だったに違いあるまい。
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