『泣くな研修医』著者、外科医の子育て、意外なスキルが役立つ
中山 祐次郎
国産中古の愛車のハンドルを握る手が本当に震えていたことには自分でも驚きました。どれほど大きな手術でも、どんな大きな会場で学会発表をしても、こんなことはかつてありませんでした。
初めて会う我が子は、それは小さく、本当にほぎゃあ、ほぎゃあと泣いています。恐る恐る抱くと、そのあまりの軽さに涙が出てきました。そして、赤い皮膚を見ながら「だから赤ん坊と言うのだな」と思ったのをよく覚えています。
授乳時に感じた無力感
それから始まった妻とベビーとの生活。夜中に何度も起きるベビー。どうにかして子育てに参戦したく、しかしおっぱいをあげることはできません。その無力感にさいなまれつつも、なぜか「自分も一緒に起きて、妻に麦茶を渡し、肩にブランケットをかける」ことは毎回しようと思っていました。
起きられないこともありましたが、なるべく頑張って起き、なんの役に立っているかわからないその行動をし続けました。10日もすると妻の顔は変わりました。目の下にクマができ、髪は乱れ、唇はかさかさに乾いていました。誰がどう見ても疲れ切っているのに、「産後のホルモンで大丈夫なのよ」と笑う妻に、「俺はこの人に一生頭が上がらないな」と強く思ったものです。
その一方、無意味に夜中に起きるせいで、自分の方にも疲れがかなりたまっていきました。そう言うと「手術は大丈夫か」と心配されそうですが、手術中は興奮状態にあり交感神経が賦活(ふかつ)されている状態なので眠くなることはありません。誰でも、運動会の100メートル走の前や、草原でチーターに追われて逃げているときに眠くなりませんよね。それと同じことです。
仕事中に眠気は感じなかったのですが、その代わりに眠気は行き帰りの運転中にやってきました。特に渋滞しているときなど、あやうく寝てしまいそうになり、そういうときは音楽を大音量にして窓を全開にしてやり過ごしました。
それからしばらくして卒乳(おっぱいからミルクに変わること)すると、少し自分のやれることが増えました。そして妻と協議の結果、夜10時30分にミルクをあげるのは週に半分が私の役目になりました。
夜9時には寝ていましたので、スマートフォンでかけたアラームでその時間に起きると、もうろうとした頭でミルクを20mL作り、冷まして口にくわえさせます。ヒョロロロロと哺乳瓶の空気穴から抜ける音を真っ暗な中で聞いていると、さらに眠気が増してきました。
妻に打ち明けたことはありませんが、一度だけ、ミルクをあげていて自分が寝てしまい、哺乳瓶を落としてしまったことがありました。それでも、少しは育児に参加できている気がして、私の満足度はむしろ上がりました。
外科医の子育て、意外なスキルが役立つ
コロナ禍は、それはひどいものですが、私にもたらした良いことが2つあります。それは、職場の飲み会がすべてなくなったこと、そして学会や講演の出張がなくなったことです。それにより、自宅を不在にすることは、緊急手術の呼び出しや当直という名の徹夜業務だけで、月に4〜5回程度になりました。
それでも一般の会社員の方々よりはだいぶ多いのでしょうが、これは、新生児、乳児を育てる身としてはとてもありがたかったのです。飲み会がないのは、職場の人とのコミュニケーションという意味では影響がありましたが、育児という意味では助かりました。
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- 「子育てを一切しない」医師もやはりいる