コロナ感染の恐怖、我が子に会えない 外科医の壮絶なリアル
中山 祐次郎
感染を防ぐ防護服、つまりN95という特殊なマスクに、目をぴったり保護できる水泳用のようなゴーグルをつけて手術を執刀するシミュレーションもしましたが、ゴーグルが曇るやら暑いやらで1時間が限界でした。視野も悪く見えづらいので、とてもではないが手術はできない。
幸い、このような状況でも緊急手術により感染することはなく、現在に至っています。ありがたいことです。
医者はこういうときには最前線に立つのだ
昨年7月になり、妻が臨月を迎えました。しかしコロナ禍で、出産立ち会いがまさかの完全禁止。陣痛に耐えながら入院する妻に付き添い、病院の1階のエレベーターまで荷物を持って行くのが私に最大限できることでした。
立ち会いができないことは、妻にとっても私にとっても、多大なストレスでした。お見舞いも完全禁止で、ベビーに会えたのは妻の出産から1週間した、退院後のことでした。
感染症の流行などでいざというとき、医者は最前線に立つことになります。担当患者さんが感染するなどして難しい判断を迫られたくらいで、私はほぼ全くコロナ診療に携わることがありませんでしたが、東京の感染症専門医などはかなり厳しい生活を迫られたと聞きました。
コロナ診療について国内で最も有名になった国立国際医療研究センターの忽那賢志(くつな・さとし)先生は知人で、コロナ禍の最中に1度オンラインで対談をさせていただく機会がありました。
ダイヤモンド・プリンセス号から始まり、第1波のころの厳しい現場のお話や「普段はそんなことのない人がちょっとしたことですごく怒る」ようなストレス状況を伺い、流行とは無縁の地で、なんの貢献もしていない自分を歯がゆく思うとともに、「医者はこういうときには最前線に立つのだ」と実感したのを覚えています。
それから第2波、第3波が来て、2回目の緊急事態宣言が都市部で出されました。
医者という職業は、本当にやりがいにあふれていて、たくさん「ありがとう」と言われることがある素晴らしい職業です。私は今でも、毎朝起きたときに自分が医者であることを深く喜び、また医者になることこだわった過去の自分に感謝します。
しかし、有事の際には自らを危険にさらさねばならないこともまた事実なのです。言い換えれば、仕事のために自分の健康や好きなこと、家族を犠牲にできるかどうか。21世紀も20年以上過ぎた現代で、今でも医者を取り巻く環境は大きく変わりません。
[日経ビジネス電子版 2021年4月23日の記事を再構成。過去の連載記事はこちら]
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