私たちの体には、年齢とともに体力の低下、目の不調、痛みや不具合など、さまざまな「老化現象」が現れます。この連載では、これらの老化現象を「衰え」ではなく「変化」としてポジティブにとらえ、上手に付き合っていく術を、これまでに延べ10万人以上の高齢者と接してきた眼科専門医の平松類先生が解説します。今回のテーマは「高齢の親に施設入居を勧める際の注意点」です。
帰省した娘が、80歳を超える母親の近況を聞いて心配しています。
娘「お母さん、この前、スーパーに行って、買ったものをどこかに忘れてきちゃったって本当?」 |
母「そうだけど、別にどうってことないわよ」 |
娘「この前も家の中で転んだし、1人だとなにかと心配だから、そろそろ施設も考えてみたら? ほら、〇〇の近くにある…」 |
母「いやよ。私はまだまだ1人で暮らせるし、誰かのお世話になるつもりはありません!」 ![]() |
環境を変えることは高齢者にとって大きなリスクになり得る
親がだんだん年老いてきて心配になってきた。そこで「そろそろ施設に入ったら」と相談する場面があります。はたまた「親を自宅に引き取って面倒を見る」という選択をすることもあるでしょう。しかし、そこにはリスクがあることも理解しておいてもらいたいのです。親が施設に入ったことで認知機能が低下して、認知症が進んでしまったという事例をよく耳にします。
医療の現場でも「高齢の患者さんが入院すると、突然認知機能が低下したような状態になる」ということはしばしば経験します。高齢の方が、突然の骨折や病気で入院をする。すると、それまではっきりと受け答えをしていて、自宅では身の回りのことを何でも自分でしていたのに、突然食事も上手にとれなくなったり、ぼーっとしてしまうということが起きてくるのです。入院という状況に限らず、施設への入所や、子が親を自宅に引き取ったことを機に、状態が悪くなってしまうということも往々にして経験します。
そこには、高齢者特有の医学的な問題が存在しています。
日常生活のルーティンが変わることは、認知機能の低下を招く
若い人に比べれば、高齢者のほうが認知機能は低下しています。すると若い人よりモノを考えることが困難になっているわけです。そうはいっても、自宅で朝起きて、トイレに行って、洗面所に行って、着替えをして、食事をして、テレビを見て…という何気ない行動は、ものを考えて動いているようでいて、無意識に動いていることも多いものです。
あなたも歯磨きをするとき、「ここをこう磨こう」とはそれほど意識していないでしょう。また、通勤のときも、考えごとをしたり、無意識に歩いていても、自然と職場に着いているのではないでしょうか。このように、毎日のルーティンは、認知機能にそれほど負担をかけずに行うことができているのです。
ところが、施設に入ると何もかもが変わります。起きるベッド、トイレの場所、洗面所の場所やルールも違います。食事の場所も、ゴミ箱の場所も違います。そうなると、認知機能が処理できる量をはるかに超えてしまうということが起きてきます。自宅にいても、「火を使わせると危ないから」と言って家族がガス台をIHコンロに替えたとたん、料理もできなくなってしまうということもあります。あなたが思っている以上に、高齢者は環境の変化・認知機能の新たな負荷に弱いのです。
「でも、脳の働きを維持するためには、負荷をかけて鍛えるほうがいいのでは?」という質問を受けることもあります。確かにそれは一理あるのですが、高齢者の場合、強すぎる負荷は逆効果となります。筋力トレーニングで、過度な負荷をかけると肉離れや剥離骨折などの重大な事態を引き起こしてしまうようなものです。そして、子から見ると「それほどでもない変化」でも、往々にして親にとっては「限界を超える大きな変化」となります。