私たちの体には、年齢とともに体力の低下、目の不調、痛みや不具合など、さまざまな「老化現象」が現れます。この連載では、これらの老化現象を「衰え」ではなく「変化」としてポジティブにとらえ、上手に付き合っていく術を、これまでに延べ10万人以上の高齢者と接してきた眼科専門医の平松類先生が解説します。今回のテーマは「伴侶に先立たれた老親に対するケア」です。
入院した高齢の父のもとへ、遠くで暮らす息子が見舞いに訪れました。
息子「父さん、大丈夫? 急に入院したって言うからびっくりしたよ」 |
父「大丈夫だよ」 |
息子「母さんが亡くなってから、食事とかどうしてたの?」 |
父「まあ、それはだな。適当にやってたよ」 |
息子「適当って…それで体調を崩しちゃったんじゃないの? だめだよ、ちゃんと栄養のあるものを食べないと」 |
父「分かってるから」 ![]() |
伴侶と死別した高齢者、半年間は危険
年老いた親が亡くなるということは、あまり考えたくないものです。とはいえ、残念ながらそれはいつか起こります。そしてほとんどの場合、一緒に亡くなることはなく、父親か母親、どちらかが先に亡くなります。そのとき注意が必要なのは、残された親の心身のケアです。なぜかというと、伴侶と死別した高齢者は、その後半年間は死亡率が40~50%上昇するということが分かっているからです(*1)。片方の親の死から半年間。なぜこの時期が重要なのでしょうか?
一番の問題は、精神的な落ち込みです。長年連れ添ってきた相手が死去してしまう。そのことによって、生活に張り合いがなくなります。まして高齢になると、人付き合いの幅も限定されます。限定された中で最も親密だった伴侶がいなくなるために、喪失感がより大きくなるわけです。孤独が増し、ストレスがかかり、最悪の場合、自死などのリスクも考えられます。そのような直接的な問題だけではありません。心理的ストレスは病気や体調不良なども引き起こします。心臓や脳の血管にも負担をかけます。
伴侶に先立たれると、生活も一変します。2人だからこそどこかに出かけていたものが、出かけにくくなります。運動量も低下して病気の発症を促します。話す相手もいなくなるため、会話量も減ります。毎日家の中で何気ない会話をしていたものが「今ではテレビを見て独り言を言っている」ということになります。そうすると、発話自体が減り、声帯機能の低下や肺活量の低下が危惧されます。
そういう意味で、仏教における「四十九日」の法要は、一定の役割を果たしています。四十九日まではいろいろとやることが多いので、忙しく過ごすことになります。気持ちが落ち込むこともありますが、「親戚に連絡をしなくては」「手紙を送らなくては」「お返しを考えなければ」と、やるべきこと、考えることがいっぱいあります。こうした作業は気持ちが沈んでいる人にさらなる負担をかけてしまい、良くないのではないか?と思われがちですが、四十九日に向けたさまざまな準備によって、人とのコミュニケーションをとり、寂しさを紛らわす時間ができるというメリットはあるわけです。