働き盛りで精巣腫瘍に…「このつらさを乗り越えられたらどんな仕事もできる」
精巣腫瘍患者友の会代表 改發厚さん(上)
福島恵美=ライター
ある日、がんになったら、今まで続けてきた仕事はどうすべきか――。今、がん患者の3人に1人が働く世代(15~64歳)といわれている。しかし、告知された患者が慌てて離職したり、雇用する企業が患者の対応に困惑し、うまく就労支援できなかったりすることが少なくない。自身もがんになったライター・福島恵美が、がんと診断されても希望を持って働き続けるためのヒントを、患者らに聞いていく。

今回登場するのは、20~40代の男性が多くかかる精巣腫瘍の患者会「精巣腫瘍患者友の会J-TAG(ジェイ・タッグ)」の代表を務める、会社員の改發(かいはつ)厚さん。難治性精巣腫瘍になってからの闘病生活や仕事について聞いた。
難治性精巣腫瘍で1年半の入院生活
精巣腫瘍はあまり聞きなれない名前のがんですが、改發さんはどのような経緯でがんと診断されたのですか。
2人の子どもがいて家族4人で暮らしていた2004年、お風呂に入っていて左側の睾丸(精巣)の腫れに気付きました。32歳のときです。ただ、痛くなかったから、放ったらかしにしていたんです。2カ月ほどたっても腫れは引かず、卵大からミカン大くらいにまで大きくなって、これはまずいと思って近くの病院へ。CT検査でほぼがんと分かったのですが、腫瘍を取る手術をしてから確認することになり、術後、精巣腫瘍と診断されました。
腹部などのリンパ節にも転移があったので、精巣腫瘍の導入化学療法(すべての治療の最初に行う抗がん剤治療)における標準治療(*1)として、BEP(ブレオマイシン・エトポシド・シスプラチン)療法という3種類の抗がん剤を組み合わせる治療を4クール(当時は1クール28日)しました。精巣腫瘍は転移があっても、BEP療法で約8割が治るといわれています(*2)。この抗がん剤治療でリンパ節の腫瘍が小さくなり、それを手術で取り除きました。ところが肺にがんが多発転移していることが分かり、「うちでは手に負えないから、大学病院で治療してください」と転院を勧められたのです。標準治療で効果がなかったので、難治性精巣腫瘍(*3)となりました。
大学病院ではさらに抗がん剤治療を2クールした後、通常の抗がん剤の5倍の量を投与する救済化学療法を受けました。高かった腫瘍マーカー(*4)が陰性化し、後は、肺に残った腫瘍を取り除いたら治療は終わるはずだったのですが……。しばらくしてから、再び腫瘍マーカーの数値が上がってしまいました。マーカーの値が正常にならないと、手術はできないのです。
主治医からは「治る見込みはあまりないです」と。けれど、治療をやめてしまえば死んでしまう。治らないのに治療するむなしさを抱えながら、試験的に他の抗がん剤を試しました。すると効く薬が出てきて、マーカーの値が正常になり肺の手術ができたんです。2005年9月に寛解(*5)し、ほぼ入院していた1年半の治療生活が終わりました。
吐き気の副作用があってもおいしいものを励みに治療
入院生活がほぼ1年半とは長期間でしたね。抗がん剤治療による副作用はありましたか。
最初の抗がん剤治療のときから吐き気が強く、吐いてばかりでした。抗がん剤を投与してから5日間は食べられないし、体重が10kgぐらい減るんです。標準治療の後にした大量の抗がん剤治療のときは、さらに強い吐き気があって、最初のころの副作用は何だったんだろう、と思うぐらいつらかった。このつらさを乗り越えられたら、どんな仕事でもこなせると思いましたね。
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