「利便性」だけじゃない! オンライン診療の本当の実力
行動変容を促し、生活習慣病を改善
荒川直樹=科学ライター
気づかぬうちに患者の行動を変えるNUDGEがヒント
なるほど、本質的なことが少し見えてきました。オンライン診療というと一部の報道では「忙しいときでも医師の診断を受けられる」「すぐ薬を処方してもらえる」といった利便性が強調されました。確かに、便利になることはいいことですが、それだけではなく、医師と患者さんとの関係を強化することで、現在の医療が抱えている問題を解決することにつながるのですね。オンライン診療に期待することとして「患者さんの行動変容を促す」がありましたが、そのコツのようなものはありますか。
武藤 行動経済学のアプローチ方法であるNUDGE(ナッジ)という言葉に、そのヒントの一つがあると思っています。これは、人間は決められたことをなかなか守れない弱いものだという前提に立って、行動変容を促す仕組みといえるでしょう。
NUDGEについて、もう少し詳しく教えてください。
武藤 もともとは「腕で軽くつつく」という意味の英語です。ノーベル経済学賞を受賞された行動経済学者のリチャード・セイラー氏が提唱した概念です。例えば、トイレの便器には小さな虫の絵が描かれたものがあります。無意識にそこにめがけてすることで、トイレが汚れなくなり、清掃の時間が8割減ったという報告があるのです。このように人間本来の性質・感情などに基づいて、気づかぬ間に人間の行動を変えていこうとするのがNUDGEです。「YaDoc」では、そうした手法も使って患者さんの行動変容を促そうと考えています。
オンライン診療は「個別化医療」の実現にもつながる
情報通信技術(ICT)を使って患者さん自身を変えていく。そのためには、医師は従来以上に患者さんと寄り添うことが必要です。通院と通院の間の患者さんの状況がすぐ医師に伝わったり、患者さんが困ったときにすぐ医師にアクセスできたりすることも重要です。
武藤 その通りです。その結果として、私たちが目指すのは患者さんをエンパワーメントすること。聞き慣れない言葉かもしれませんが、日常の健康管理について、患者さん自身から積極的になってもらうということです。いままでは医師から「きちんと薬を飲んでください」といわれて飲む。もちろん、それでかまわないのですが、日々のデータなどを医師と共有することで、患者さん自身が、どのような行動をしたらもっと健康でいられるかを考える力をつけてもらいたいのです。
そして、こうしたICTの利用による情報の共有は、今後プレシジョンメディシンという個別化医療の実現にもつながると思っています。
個別化医療とは、具体的にどういうことですか。
武藤 例えば、高血圧症の患者さんが二人いて、同じ降圧剤を処方されたとします。体格も遺伝子も違うなかで、その薬が同等に効いているということは、考えにくいわけです。また、前日深酒をして酔いが残っている状態で服薬したときと、健康な状態で服薬したときとでも違うはずです。個別化された医療を進めるためには、個々の患者さんの詳細なデータをとることがスタートなのです。
オンライン診療の仕組みは、まさに新時代の医療を実現するためのインフラであるともいえますね。
武藤 今回、オンライン診療の保険収載が認められたということで、そのスタート地点に立てたことになります。また、オンライン診療と新しい医療の概念を組み合わせたものが、私たちが作り上げた「YaDoc」だったわけです。オンライン診療が患者さんの利便性を高めることも大事ですが、同時に「医療従事者の負担軽減」「患者さんをエンパワーメントすること」「個別化医療の実現」など、継続可能な制度設計につながらなければ、あまり意味がありません。私たちの取り組みがその「発火点」になっているとすれば、非常に大きな意味があると思っています。

オンライン診療の「効き目」を検証する
既に発火点から、医療を転換させる大きな「うねり」になっていると感じますね。最近では、糖尿病治療の現場では血糖値を24時間モニタリングする持続血糖測定器なども登場しています。そのデータをオンライン診療に取り込み、医師と患者さんが情報共有すれば、これまで以上に患者さんの行動変容につながる可能性もありますね。これからの動きは速いと思いますよ。
武藤 その動きを加速するために、いま私たちが考えているのは、オンライン診療自体に医学的効果があること、つまり、オンライン診療を導入することによってよりよい医療を実現できるということを、きちんと検証することです。
どういった検証が行われるのでしょうか。
武藤 ポイントは3つあると思っています。1つはクリニカルアウトカム。臨床的に結果がよかったということです。2つめは経済性で、オンライン診療の費用対効果を検証します。そして、3つめは「満足度」というべきもの。医師にとっては「楽になった」とか「情報が増えた」などがあり、患者さんでは「つらい思いをして通院せずに済んだ」「医師に自分の気持ちをもっと伝えられるようになった」とかがある。「満足度」はクリニカルアウトカムや経済性だけでは評価できない重要な検証項目といえます。