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榎木英介の「病理医の視点」

中村紘子さんの闘病に学ぶ~がんとともに生きるということ

 榎木英介=近畿大学医学部附属病院臨床研究センター講師・病理医

 世界的ピアニストの中村紘子さんが、2016年7月26日に大腸がんのため亡くなった。72歳だった。

 大腸がんになってもピアノを演奏することにこだわり、9月にはコンサートを予定していたという中村さん。誕生日(7月25日)は自宅で過ごし、夫で作家の庄司薫さんに最期をみとられたという。

 もう中村さんのピアノを聴くことができないと思うととてもさみしい。心よりご冥福をお祈りする。

不安や恐怖に打ち勝つ客観的な観察

 中村さんは大腸がんであることを公表し、その闘病生活を隠さず語っていた(参照記事:中村紘子「がんが治っても、ピアノが弾けなくなるのは困る」「ちょっと変だけど、がんになった自分を楽しんでいる」)。

 2014年2月の手術では、がんはすべて取り切れず、治らないことを自覚しながら様々な治療を受け、その副作用に悩まされながらも、「がんが治っても、ピアノが弾けなくなるのは困る」と、天職であるピアノ演奏を継続していた。

 「今までなかった体験をしているので、がんになった自分をとても興味深く受け止めているんです」とも述べていた中村さん。インタビューでは語らなかった悩みや苦しみ、死に対する恐怖もあったと思うが、がん患者である自分を客観的に観察するという姿勢が、中村さんの心を救ったのだろう。

 中村さんの言葉から、私はあるがん患者さんのことを思い出した。戸塚洋二さん−直腸がんで2008年にこの世を去った物理学者だ。2015年にノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章さん(東京大学宇宙線研究所長)の師匠で、存命ならば梶田さんと同時にノーベル賞を受賞したといわれる著名な物理学者だった。

 戸塚さんは、詳細に自分のがんを観察し、その闘病の記録をブログに綴っていた(現在は閉鎖、だが書籍化されている)。

 中村さんと戸塚さん。自身のがんと向き合い、がんを「観察の対象」としてしまう好奇心の強さに驚く。中村さんはピアニスト、戸塚さんは物理学者。ともに特異な才能を持ち合わせた人だ。当事者の苦しみや恐怖は、当事者にしか分からない。だから、軽々しく言うことはできないが、知的好奇心こそ、死に向き合い、死を意識して生きるために必要な要素なのかもしれない

死にゆく過程に向き合う医療も必要とされる、がんの治療

 がんはすぐに死ぬ病気ではない。死を近くに感じながら、何年もがんとともに生きていかなければならない。次第に体力を失い、様々な合併症が生じる。痛みを伴う場合が多い。

 だったら、いわゆる「ぴんぴんころり」といわれるような、突然命が終わるほうがいいのかな、と思う人がいるかもしれない。

 しかし、突然死は残される家族にとっては辛い。昨日まで元気だった身内が、ある日告げられもせず、この世からいなくなる。お別れの言葉も言えない。亡くなる本人も死期を決められるわけではないので、やり残したこと、言い残したことがあるに違いない。

 私の父は、急性心筋梗塞で寝ている間に亡くなり、朝冷たくなって発見された。もし死ぬ時が分かっていたら、その前にもっと話をしていればよかった、と私は後悔している。

 一方、現在、がんの治療では、痛みや栄養のコントロールなどを行い、死の間際まで様々なことができるケースが増えてきている。中村さんの最後の舞台は、2016年5月8日、兵庫県洲本市でのコンサートだったという。

 個人の価値観に関わるので一概には言えないが、私だったら「ぴんぴんころり」よりがんで死ぬ方がいいかなと思う。

 医療は人の命を救うものであり、治療期間は闘病ともいわれるように、病に立ち向かい、その結果の「死」は敗北のようにとらえられることが多い。しかし、死にゆく過程に向き合う医療も、患者さんにより充実した生(せい)を全うするために必要なことだと思う。

 最後までピアノ演奏にこだわりを持ち続けた中村さんの生き方は、私たちに多くのことを教えてくれる。

(写真:清水真帆呂)

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榎木英介(えのき えいすけ)
近畿大学医学部附属病院臨床研究センター講師・病理医
榎木英介(えのき えいすけ) 1971年横浜市生まれ。東京大学理学部生物学科動物学専攻卒、神戸大学医学部医学科卒。神戸大学医学部附属病院、兵庫県赤穂市民病院などを経て、近畿大学医学部附属病院臨床研究センター講師(病理学教室、病理診断科兼任)。病理専門医、細胞診専門医。著書に『嘘と絶望の生命科学』 (文春新書 986)、『医者ムラの真実』(ディスカヴァー携書)、『わたしの病気は何ですか?――病理診断科への招待』(岩波科学ライブラリー)などがある。

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