日経グッデイ

“筋肉博士”石井直方のやさしい筋肉学

筋トレ効果を増強する成分とは、ドーピングの懸念も

第49回 筋肉を成長させるメカニズム(4)

 コーチング・クリニック(ベースボール・マガジン社)

“筋肉博士”石井直方先生(東京大学教授)が、筋肉のメカニズムや機能を毎回わかりやすく解説していきます。筋肉が太くなる過程について、「筋トレで筋肉を壊して、再生する際に太くなる」などと説明されることがあります。しかし実際には、筋線維はそんなに簡単に壊れることはないそうです。また、筋トレ効果を増強する成分も明らかになってきました。

「筋肉を壊す」という考えは正しくない

 前回は筋肉が太くなる5つの要因(「メカニカルストレス」「代謝環境」「酸素環境」「ホルモン・成長因子」「筋線維の損傷・再生」)を挙げ、主にメカニカルストレスについて説明しました。

 メカニカルストレスは、トレーニングが筋肉に与える効果のなかでは主要な因子ですが、筋肥大にはそれ以外の要素も複雑に絡み合っています。前回の最後に触れた代謝環境や酸素環境も重要ですし、筋線維の損傷・再生も直接的な要因として大きな役割を果たしているといえます。

 筋線維の損傷・再生について、トレーニングの現場では「筋トレで筋肉を壊す」といった極端ないい方をされることがあります。しかし、実際には筋線維はそれほど簡単に壊れることはなく、多くの場合は筋肉が疲労している程度、あるいは筋肉の細胞膜の機能が少し損なわれている程度であると考えられます。エキセントリック(伸張性収縮)トレーニングなどでは、構造的にはっきりわかる小さな傷ができることはありますが、それも筋肉に大きなダメージを与えるようなレベルのものではありません。普通の筋トレでも目に見えない程度の傷ができている可能性はありますが、それらは痛みを感じることもなく自然に治っているはずです。

 ということで、「筋肉を壊す」という考え方は正しいとはいえません。むしろ筋肉を壊すような激しいトレーニングでなくても、筋肉はしっかり太くなるということを指導者は理解するべきでしょう。

 現在は、筋線維の中のカルシウム濃度が少し上がった状況がキープされると、それが筋肉を太くする刺激になりそうだということがわかってきています。そして、同じ変化は筋トレだけでなく、カプサイシン(唐辛子エキス)を筋細胞に与えても起こるようです。いずれ、カプサイシンが筋トレ効果を増強する刺激として使われる日が来るかもしれません。

アナボリックステロイドに関する新たな研究データ

マッスルメモリー(筋肉の記憶力)の存在を裏づける研究が発表された。ヒトがアナボリックステロイドを使用すると、筋肥大しやすい状態が10年ほども続くと推定されている。(©Shao-Chun Wang -123rf)
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 また、ホルモンに関しては、ここ10年ほどで研究者の考え方が変わりつつあり、以前ほどは重視されていないように思われます。

 アナボリックステロイドなどの男性ホルモンについても、かつてはトレーニングをすることで男性ホルモンの受容体が増え、そこにアナボリックステロイドが打ち込まれれば筋肉が太くなると考えられていました。しかし、今は男性ホルモンによって「転写」(第47回参照)を活性化させた上で、トレーニングをしっかりすることで「翻訳」(第47回参照)をフル稼働させるという2段階ではないか、という見方が強くなっています。

 アナボリックステロイドにまつわる研究では、最近、生理学の学術誌『ジャーナル・オブ・フィジオロジー』に公開されたばかりの興味深いデータがあります。

 それは、アナボリックステロイドを多量に使うと、筋線維の中の核の数が増え、しかも、その状態はステロイドをやめて筋肉が委縮した後もしばらく続くというものです。

 ネズミの実験で確かめられたこの結果は、「筋肉に記憶力がある」(マッスルメモリー)という説を裏づけるものといえます。つまり、ステロイドをやめた後も、筋肉はトレーニングの刺激に反応しやすい状態になっていて、再びトレーニングを開始したときには以前よりも肥大しやすくなっているのです。

 核が増えた状態は、ネズミとヒトの寿命から換算すると、ヒトでは10年ほども続く可能性があるとされています。10年前にステロイドをやめ、ドーピング検査では"シロ"と判断された選手でも、実際には10年前のステロイドの恩恵を受けているかもしれないわけです。ということで、一度ステロイドを使った選手は10年間出場停止にしないと不公平である、そうしないとドーピングは根絶されないのではないか、という意見も出てきています。

悪用が懸念される遺伝子ドーピング

 ドーピングの問題でいうと、現在最も危惧されているものが、遺伝子ドーピングでしょう。

 筋トレによる刺激で、筋線維そのものから筋肥大を促すIGF-Ⅰ(インスリン様成長因子-Ⅰ)という物質が分泌されます。このIGF-Ⅰは遺伝子治療の観点から注目されていますが、それがスポーツ界でも悪用されないかと懸念されています。というのも、IGF-Ⅰの遺伝子を組み込んだウイルスを筋肉に注射すると、トレーニングをしなくてもすごい勢いで筋肥大が起こり、筋力も増加します。しかも、その証拠物質は血中には現れず、副作用もありません。これはカニクイザルというサルを使った実験でも確かめられていて、ヒトにも応用が可能と考えられているのです。

 すぐにでも実現可能な段階になっている遺伝子ドーピングですが、そこで一番困った問題は、検出のしようがないこと。費用をかけてバイオプシー(生体材料検査)などを行えば判明する可能性もありますが、尿検査や血液検査では決して痕跡は出ないでしょう。倫理に反して遺伝子ドーピングを行う選手が出てきたら、もうまともな勝負は成り立ちません。考えるだけで恐ろしいことですが、そうなったら、競技スポーツはおしまいということになってしまうかもしれません。

筋トレによる刺激で、
筋線維そのものから分泌されるIGF-Ⅰが、
スポーツ界で悪用されないかと懸念されている。


(構成:本島燈家)

石井直方(いしい なおかた)さん
東京大学教授
石井直方さん 1955年、東京都出身。東京大学理学部卒業。同大学大学院博士課程修了。東京大学教授(運動生理学、トレーニング科学)。理学博士。力学的環境に対する骨格筋の適応のメカニズム、及びその応用としてのレジスタンストレーニングの方法論、健康や老化防止などについて研究している。日本随一の筋肉博士としてテレビ番組や雑誌でも活躍。著書は『筋肉まるわかり大事典』『トレーニング・メソッド』(ともに小社刊)、『一生太らない体のつくり方』(エクスナレッジ)など多数。
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『石井直方の筋肉の科学』
B5判、140ページ、1500円+税 発行/ベースボール・マガジン社

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この記事は、ベースボール・マガジン社「コーチング・クリニック」からの転載です。