日経グッデイ

“筋肉博士”石井直方のやさしい筋肉学

「火事場の馬鹿力」は自らの意志で出せるのか?

第21回 脳が筋肉の活動にブレーキをかけていた

 コーチング・クリニック(ベースボール・マガジン社)

“筋肉博士”石井直方先生(東京大学教授)が、筋肉のメカニズムや機能を毎回わかりやすく解説していきます。今回は、筋肉が持つ力を自分の意志でどこまでコントロールできるかについて解説します。「火事場の馬鹿力」と言われるように、人は非日常的な出来事に直面した場合などに、普段は出せないような力が出ます。この火事場の馬鹿力は自らの意志で出すことはできないのでしょうか。

自分の意思では 本当の最大筋力は出せない

 前回は筋肉の中で運動単位がどのように働くのかを説明しました。今回のテーマは、最大の筋力を発揮している場合、すべての運動単位が使われるのかどうかという問題です。

 正確ないい方をすると、筋肉が「随意最大収縮」(自分の意思で発揮できる最大筋力)をしているとき、すべての運動単位が使われているのかどうか、です。

最大の力を出しているつもりでも、筋肉のすべての運動単位が使われているわけではない。意識は最大筋力を出しているつもりでも、脳が少しブレーキをかけているのだ(©bluefox -123rf)

 答えは、使われていない。最大の力を出しているつもりでも、実際には遊んでいる運動単位があるのです。つまり、自分の意思では運動単位のすべてを使うことができないということになります。これはいわゆる「火事場の馬鹿力」にもつながる問題。ご存じのように、最大筋力を発揮しても筋肉はフルに活動できない、ということは昔からいわれてきました。

 それを証明しようとする研究は、1950年代頃からいくつかありました。例えば、筋肉に最大の力を出させておいて、筋肉につながっている神経に電気刺激を与えると、随意で出せるよりも大きな筋力が出るという報告があります。別の実験では、随意最大筋力を計測したあとに被験者に催眠術をかけ、もう一度最大筋力を測ると最初よりも大きな力が出た。こうした実験によって、運動単位を自分自身で完全にコントロールすることは不可能である、ということがわかったのです。

 催眠術の効果があるということは、脳が関連しているということ。つまり、自分では最大限の力を出して頑張っているつもりでも、大もとの中枢のほうでブレーキがかかっているということになります。催眠術の実験結果を受けて、中枢神経に効く興奮剤を被験者に飲ませる実験も行われています。それもやはり同じような結果となりました。

 意識は最大筋力を出しているつもりでも、脳のほうで少しブレーキをかけてしまう。これを「中枢による抑制」といいます。

大きな声を上げると、筋力が上がる?

 スポーツの現場では、興奮剤を使うわけにはいきません。試合前に催眠術をかけるという話もあまり聞いたことがありません。もしかしたら、催眠術的なものを試している選手はいるかもしれませんが、現実的には難しいでしょう。筋力を高めることはできたとしても、催眠効果によって練習してきた動きができなくなってしまったり、集中力が切れてしまったりするかもしれません。

 では、運動単位をたくさん動員するために実際に使える手法はないのでしょうか。

 現在までに証明されているものとしては、「シャウト効果」があります。大きな声を上げることで中枢の働きを変えてしまおうというもので、現場では昔から行われていたやり方でもあるため、これによって筋力が上がることは経験的に予測されていた面もあるでしょう。実験でも、確かに筋力が上がるというデータが出ています。自分を鼓舞する、気合を入れる、といった目的で大声を出している選手も多いと思いますが、これは運動単位をたくさん使う手段としても有効だったわけです。

 人は非日常的な出来事に直面すると、無意識に大きな声を発することがあります。そして、普段は出せないような力が出る。これが火事場の馬鹿力と呼ばれるわけですが、非日常的な出来事の刺激によって中枢の抑制が外れるという現象は、スポーツ現場だけでなく日常生活でも起こっているのです。

掛け声とともに筋力を発揮すると、掛け声を出さない場合より大きな筋力が発現する(猪飼ら、1961より改変)
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 催眠術、興奮剤、シャウト効果、火事場の馬鹿力……いずれの場合も問題は脳。脳の中で、より運動単位を動員させるような指令を出す仕組みを作れば、発揮される筋力はアップするということになります。

ブレーキの強さはどのくらいか?

 では、中枢が運動単位の働きにブレーキをかける強さは、どのくらいなのでしょうか。6割か、7割か、8割か。これについてもさまざまな研究がなされていますが、現在までに定かな結果は出ていません。

 ただ、最近は筋肉に上手に電気刺激を与える手法が幾つも出てきているので、研究はかつてよりも進んできています。それらを総合的に見ると、従来いわれていたよりは力を発揮できている、という主張が増えてきています。7割程度の力しか出せていないと思われていましたが、実際は9割ほど使えているのではないかと。10%ほどは余力が残っているものの、予想されていたほど強いブレーキがかかっているというわけではない、というのが最近の考え方になっています。

 しかし、これもまだ断定はできません。というのも、人にかけられる電気刺激には限界があるからです。私たちの研究室でも100ボルトくらいの短い刺激を与えることはありますが、それ以上やると“電気椅子”になってしまいます。ですから、筋肉の本当の能力はわからない。もしかすると90%出ているというのは過小評価で、筋肉にはもう少しポテンシャルがあるかもしれません。

 いずれにしても、短期的にはシャウト効果などでブレーキの強さをダウンさせることはできます。そして、実は筋トレによってブレーキを徐々に弱くできることがわかってきています。中・長期的なスパンで最大筋力を高めるためには、重い負荷を使って筋トレを繰り返すこと。そうすれば中枢による抑制は弱くなり、筋肉本来の最大筋力に近づいていくことができるのです。

催眠術、興奮剤、シャウト効果、火事場の馬鹿力……
いずれの場合も問題は脳。


(構成:本島燈家)

石井直方(いしい なおかた)さん
東京大学教授
石井直方さん 1955年、東京都出身。東京大学理学部卒業。同大学大学院博士課程修了。東京大学教授(運動生理学、トレーニング科学)。理学博士。力学的環境に対する骨格筋の適応のメカニズム、及びその応用としてのレジスタンストレーニングの方法論、健康や老化防止などについて研究している。日本随一の筋肉博士としてテレビ番組や雑誌でも活躍。著書は『筋肉まるわかり大事典』『トレーニング・メソッド』(ともに小社刊)、『一生太らない体のつくり方』(エクスナレッジ)など多数。
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この記事は、ベースボール・マガジン社「コーチング・クリニック」からの転載です。