「責任」は受け取る人のコンディション次第で重さが変わってきます。責任から逃れたくなるのは、エネルギーが落ちた人にとっては当たり前のことなのです。自分の役割に過剰に責任を感じ始め、責任から逃れたくなったら、疲れてしまったサインなのかもしれないと冷静に受け止めてほしいと思います。

できれば人の上に立ちたくないし、責任を背負うのは苦手…。そんな気持ちを口にすると、社会では「責任逃れ」「無責任」と批判されることがあります。でも、弱っているときほど、人は責任から逃れたくなるものなのです。
仕事や人間関係にトラブルが生じると、必ずといっていいほど始まるのが「責任の押し付け合い」です。誰がミスをしたのか、そもそも誰が責任をとるべきなのか、といったやりとりを見ると「責任なんて、背負いたくない」と思ってしまいますね。
責任は、受け取る人のコンディション次第で“重さ”が変わることをご存じですか? 心身ともにパワーに満ちているときに責任を与えられると、自分の能力が評価される絶好のチャンス、と受けいれることができます。「責任」と「自信」がぴたりと一致していると、ものごとも、たいていはスムーズに運びます。
ところが、心身のエネルギーが低下した人にとっては、責任がものすごく負担になるのです。「うつ病は自信をなくす病気」と言いましたが、自信をなくしているときには、責任が現実以上に重たく感じられてしまいます。
責任とは、そもそも人にとってどんな意味を持つものでしょう。まず言えるのは、たくさんのエネルギーを必要とするものだということ。与えられた仕事を行うだけでもエネルギーがいるのに、そこに責任が加わると、「良い結果を出すこと」が求められます。良い結果を導くための情報収集、悪い結果を出さないための対策などに、さらなるエネルギーを動員することになります。
加えて、心理的負担も増します。「責任を持つ」ということは、「責任をとる」ということ。結果が悪かった場合は、周囲から非難され、攻撃される。場合によってはその集団から追放される、という本能的な恐怖心もついて回るわけです。
ピンチのときに、人は責任から逃れたくなる
もちろん、元気なときなら「ま、なんとかなるだろう」で軽くこなせるかもしれません。ところが、疲労や不安が重なり心身のエネルギーが低下すると、仕事を遂行するための集中力が落ち始めます。
同時にふくらむのが「非難されるかも」という恐怖心。心はちぢこまり、本来の力が発揮できなくなる、という負のループにはまりこみます。
最終的には「うまくいかないのは、すべて私がダメなせい」という自責感、無力感でいっぱいになる。まさにこれが、うつの状態ですね。
うつのときに、人は発作的に会社を辞めたり離婚をしたくなったりするものですが、これは、本人が責任を現実以上にふくらませ、抱え込んでしまっているからです。自分がいるせいでこの仕事がダメになる、自分がいると配偶者や家族を不幸にしてしまう、あるいは、こんな自分は見捨てられる。だから、自分から「切ってしまいたく」なるのです。
ピンチのときにダメになってしまうのは当たり前のことです。責任から逃れたくなるのは、エネルギーが落ちた人にとっては当たり前のことなのです。
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