がんばらなくてはいけないのに弱音を吐きたくなるとき、人は必ず心身ともに疲れています。つらい、苦しい、という感情は「助けを求めろ」「その場から離れろ」「休め」というサインなのです。弱音は軽々しく吐くと周りにまで波及してしまいますが、限界まで我慢したり、感情を抑えられない自分を責めたりするのは、間違っています。感情を抑えつけようとしていた圧力をゆるめる方法を取り入れることが実は有効なのです。

いろいろなことがうまくいかないとき、あなたはどう行動しますか?
ささいな悩みならともかく、問題が深刻なときはなかなか人に打ち明けるわけにもいかず、つらい気持ちをぐっと飲み込んでいるかもしれません。
感情は、太古の昔、おそらく言葉が生まれる以前からあったと考えられます。そして、どんな感情も、その持ち主の「命を守ること」と強く結びついています。だからこそ、感情は生々しく、当事者の言うことをなかなか聞いてくれません。苦しい気持ちになったときに「なかったことにしよう」なんて思っても、涙は勝手にあふれるし、叫びたくなるものです。
本能と結びついている感情に、理性の勝ち目はありません。
「つらい」という感情は、体に備わった自然治癒力
がんばらなくてはいけないのに弱音を吐きたくなるとき、人は必ず心身ともに疲れています。つらい、苦しい、という感情は「助けを求めろ」「その場から離れろ」「休め」というサイン。素直に従い、対処することができれば人は自然と、復活していけます。つまり、つらいという感情は、体に備わった自然治癒力ともいえるでしょう。
ところが、がんばりすぎる人ほど感情(=本能)に対して理性で立ち向かおうとします。たとえば、「愚痴を言っても問題は解決しない」と、つらい感情を無視し、休まない。すると感情は一段とふくれあがり、それを抑えるためにさらなるエネルギーを必要とするようになります。やがてその人は疲れ果て、「弱音を吐く自分がダメなんだ」と自分いじめを始めるようになります。
これが、うつの始まりです。
人が弱音を吐けなくなる原因には、社会の圧力も関わっています。泣いたり弱音を吐いたりすることは、原始のころから人が周囲に助けてもらうためのシンプルなコミュニケーション手段でした。だからうつになると、大の男でもよく泣くようになります。
このような、感情を抑制できない状態を精神医学では「感情失禁」と呼ぶことがあるのですが、私はこの言葉が好きではありません。泣くことが、まるでとても悪い、恥ずかしいことのようだからです。苦しいときに泣くのは、暑ければ体温を下げるために汗が出るのと同じく自然なことで、弱ったときには涙が流れるものです。