その言葉は、ある日不意に言い渡される―。「がん」。次の瞬間、多くの人は「死」を初めて実感し、我が人生を改めて振り返る。今は日本人のおよそ半分が、なんらかのがんにかかる時代。がんをきっかけに診察室で繰り広げられる人間模様とともに、がん治療の最前線を歩み続ける医師が綴る、現代人に贈る生き方の道しるべ。
治りますか?と聞かれても…
「私、治るのでしょうか?」「絶対、治りますよね?」―。
がんの告知をしたときに、多くの患者さんがこんな言葉を口にします。たしかに無理もない問いだと思います。がんは死に至る可能性が高い病である一方で、「治った」という症例はいくらでもある。果たして、自分が罹(かかか)ったがんは、治るのか、治らないのか。あるいは、治せるのか、治せないのか。
正直に申し上げると、はっきりしたことは誰にもわかりません。医師としては、その患者さんのがんの種類と進行度に応じて、「5年後にも生存している確率」をお伝えすることはできます。ですが、あくまで統計上のデータであるその数字は、患者さんの求める答えにはなっていない。それもよくわかっています。
そもそも知りたいのは、一般的な「〇〇がん」の予後についてではなく、「私の罹ったこのがん」が治せるかどうかでしょう。この質問に答える方法はあるのでしょうか。
詳しくは後述しますが、がんとは細胞が変異する疾患です。患者さん1人ひとりのがん細胞が、それぞれ“個性”を持っています。この世に2人として同じ人間がいないように、がん細胞も百人百様。進行の度合いにも回復の過程にも個性があるのです。
今回は、がんがとても個性的であることについて、お話したいと思います。
ステージだけでは決まらない
がんが治るか治らないかの大きな目安になっているのが、がんの進行度です。みなさんもご存じかと思いますが、基本的にはステージⅠからIVまでに分類され、早期がんはステージI、末期がんはステージⅣとなります。おおまかに言えば、5年生存率は、ステージIの早期がんであれば8~9割と高く、ステージが進むにつれて低下します。
しかしながら、がんが発生した「部位」に加えて、「細胞の悪性度」「転移」「浸潤(しんじゅん)」といった条件によって、比較的早期に近いステージⅡのがんであっても、深刻な状態に陥ることが想定されるケースもあります。例えば、初期のがんなのに、ほかの部位に転移していることもあります。もしも、転移が確認されれば、治療方法や5年生存率はまた変わってしまいます。一方、がん細胞の性質によっては、ステージIIIやIVでも完治することもある。
このように、専門の医師であっても、「治る」「治らない」という二択から語ることはとても難しいのです。
がん細胞は遺伝子のコピーミスで生まれる
そもそもがん細胞とはどんなものであるのかについて、ここで簡単にまとめておきましょう。
まず、がん細胞はどうやって生まれるのか。人間の体は約60兆個の細胞からできており、細胞分裂を繰り返すたびに細胞の中に遺伝子のコピーが生成され、同じ形質が引き継がれていきます。こうして胃の細胞は胃になり、皮膚の細胞は皮膚になるわけです。例えば、けがをした後に、傷口が元通りになるのは、細胞の中の遺伝子が正しくコピーされた結果でもあるのです。
しかし、何らかの事情でこの仕組みがうまく働かなくなると、遺伝子が変異した細胞が増殖してしまいます。これががん細胞を生むきっかけです。
さらにがん細胞には、大きくわけて3つの特徴があります。1つは、むやみに「増殖する」性質を持っていること。2つ目は、周囲の細胞に「浸潤する」こと。3つ目は、他の細胞に「転移する」性質であること。これらのうちの1つでも当てはまれば、それはがん細胞です。そもそも「がん」とは、遺伝子の変異によって生まれた悪性の細胞の総称なのです。
ちなみに、遺伝子の変異を起させる要因は、「ウィルスや細菌への感染」「発がん性のある化学物質の摂取」「生活習慣」「遺伝」などがあります。これらに気をつけることが、がんのリスクを減らすことにつながります。細胞分裂を繰り返している私たちの体は、常に遺伝子が変異する危機にさらされており、細胞をがん化させてしまうリスクから完全に逃れることは不可能だともいえます。