日経グッデイ

石原良純の「日々是好転!ときどきカラダ予報」

城が元気になれば、人も元気になれる!

第27回…震災8カ月後の熊本城、石原良純さんが見たものとは

 石原良純

テレビ界きっての多趣味人で、博識の石原良純さん。50代で人生により磨きをかける日々の中で感じている、カラダのこと、天気のこと、そしてニッポンのこと。何事も前向きに生きれば、日々是好転! 年末報道特番の取材のため、熊本城を訪れた石原さん。遠目に見ると大きな被害はないように思える熊本城も、近くまで進んでいくと、その惨状に驚かされます。そんな状況の中でも、地元の人は、静かに力強く前を向いて進み始めていました。

震災から8カ月を経った今も、建物の解体は毎日続けられている

 熊本城を訪ねたのは、年末報道特番でのこと。

 僕は熊本城が大好きだ。日本三大名城に数えられる熊本城の威容は、城好きの僕ならずとも、訪れた人、誰をも魅了する。熊本の街に暮らす人も、何かの折に城を見上げては、安堵したり勇気づけられたりしているに違いない。城は街のシンボルであり、心の寄り処となる。僕は城下町を訪れると、その街の人を心底、羨ましく思う。

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震災後にニュースで頻繁に報じられた飯田丸五階櫓(写真左)。今は、鉄骨に抱きかかえられ、どうにか形を留めている。天守閣の足元も大きく崩れていた(写真右)

 城を訪ねる前に、まず、今年4月の熊本地震で最も被害を受けた、隣の益城町に向かう。熊本駅でタクシーに乗り込み、技術スタッフとの待ち合わせ場所である益城の公民館を告げると、「取材ですよね」とドライバーに念を押された。聞けば、被災地を観光目的で訪れる輩が後を絶たないのだそうだ。「そんな客はきっぱりと断る」とドライバーは苦笑いしていたが、被災地の現実を忘れないことと、物見遊山を混同してはならない。今一度、気持ちを引き締めて町へ向かった。

 熊本市電の終点、健軍町停留所を超えたあたりから、屋根を青いビニールシートで養生された家が目につくようになる。道路にもヒビ割れを修復したアスファルトの簡易舗装が見られる。

 ニュース映像で見覚えのある通りをカメラと共に歩く。震度7の激震で全家屋が被災したこの街は、半分が更地となっていた。静寂の街ではどこからか、パワーショベルの作業音だけが聞こえる。復興作業の第一歩、建物の解体は震災から8カ月を経った今も、毎日毎日、続けられている。それでも、半数の建物は4月の地震直後のまま、瓦礫(がれき)の山となって残っていた。

 傾いた電柱脇の土壁の古い家屋は、一階部分がペシャンコに潰れている。比較的新しい家は潰れはしなかったものの、家自体が大きく割れて、アコーディオンのように波打っている。

 材木と土壁が折り重なり、ミルフィーユのような瓦礫の中には、茶碗やら皿やら、地震のその日まで使われていた日用品が埋もれている。形をとどめている家の窓の中には、カーテン越しに倒れたタンスや天井から斜めにぶら下がる電燈が見える。地震で大きく姿を変えてしまった街は、その時以来、時間が止まったままなのだ。

遠目には、大きな被害はないように思えたが…

 ただ不幸中の幸いだったのは、M6.5の前震の2日後にM7.3の本震が起きるという変則的な地震だったこと。

 4月14日夜。震源地に近い益城町では、震度7の激震に見舞われた。損害を受けた家屋に不安を覚えた住民は、避難所や屋外で寝泊まりするようになっていた。そこを襲ったのが16日未明の本震だ。2度目の激震に、かろうじて家を支えていた柱や壁が崩壊。住民は屋内にいなかったことで死傷を免れた。熊本地震の死傷者は、16日の本震でいきなり家屋の倒壊などに見舞われた阿蘇山麓などに集中しているのだそうだ。

 熊本市街に戻ると、地震の痕跡はほとんど見うけられない。歳末の街は多くの人出で賑わっている。市電が走る目抜き通りを進むと、小高い山に聳(そび)える熊本城の勇姿が見えてきた。

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遠目からは被害は少なそうに見えた熊本城だが、近づくと石垣が崩れ、長塀が倒れ、瓦もはがれ落ちていた

 遠目に見ると、天守閣とそれに連なる築城400年を記念して8年前に再建されたばかりの本丸御殿には、大きな被害はないように思えた。ところが、お城の足元まで進んで驚いた、石垣が崩れている、長塀が倒れている、櫓が宙に浮いている。

 ニュース映像の記憶に生々しい飯田丸五階櫓。僅かに残った石垣の隅石が、櫓を奇跡的に支えていたが、今は応急措置が施され、鉄骨に抱きかかえられ、どうにか形を留めていた。

 城内のほとんどの場所が立ち入り禁止区域となっている。崩れていない場所でも、石垣の表面が膨らんで、内部の地盤が緩んでいる。補修を必要とする石垣は、総延長の2割にも達するという。

天守に昇れるようになるまで3年、完全修復は20年後

 ヘルメットを被り、市の職員に石垣や堀割に不用意に近づかないようにと注意を受けて城へ登る。16日の本震で轟音と共に崩れ、転がった石垣の石は取り除かれ、通路は確保されている。後の修復で元どおり石垣の同じ場所に積み直すために、石には一つひとつ丁寧に番号が振られ、城内の広場に並べられている。

 崩落が進みそうな箇所は、鉄鋼や樹脂のシートで覆われている。それでも石垣の中段辺りが明らかにポッコリと膨らんでいるのは怖い、足を早めて先へと進んだ。

 本丸御殿下の地下通路を抜けると本丸広場だ。

 去年の夏休みに家族と一緒に訪れた時には、真夏の太陽の下、世界各国からの観光客で広場はごった返していた。通路から階段を昇り振り返ると、大天守と小天守が連なる熊本城の天守閣が、逞しい姿で出迎えてくれた。その姿に一番興奮したのは、何故か何度も城を訪れたことのある僕だった。

 「うわ~っ、うわ~っ、うわ~っ」

 思わず声が出る。去年とは違う。その呻き声は、傷ついた天守を悼む悲嘆の声だ。

 人気のない広場に、天守はひっそりと佇む。小天守の足元は大きく崩れ、観覧者入口は跡形もない。大天守も瓦がはがれ落ち、壁には無数の傷があちらこちらに浮かんでいた。

 「大天守に昇れるようになるまで3年。20年後には完全修復します」。熊本市の職員は、静かだが力強く決意を語る。

 そう、僕よりも熊本の人の方がよほど、この惨状が堪えているのだ。それでも、ここでしょげている場合ではない。人は、城を見上げて元気になれる。城が元気になれば、人も、元気になれる。まずは3年。そして20年。前を向いて進むのだ。

 さすが、熊本城。

石原良純(いしはら よしずみ)
俳優・気象予報士
石原良純(いしはら よしずみ) 1962年1月15日生まれ。神奈川県逗子市出身。慶応義塾大学経済学部卒。テレビ、舞台、映画など幅広く活躍。趣味はマラソン。自宅から10キロ先の所属事務所まで走って通うことも。