テレビ界きっての多趣味人で、博識の石原良純さん。50代で人生により磨きをかける日々の中で感じている、カラダのこと、天気のこと、そしてニッポンのこと。何事も前向きに生きれば、日々是好転! 今年の夏は、当初の猛暑の予報とは打って変わって曇りや雨の日が続きました。そんな夏の終わりに、一度も海に入っていないことに気づいた石原さんは、ひとり湘南の海を目指しました。
晴れ間が覗かないのに、蒸し暑さばかりが記憶に残った
ワーッ、夏が終わっちゃったよ~っ。
6月末発表の3カ月予報では、この夏は酷暑の予感。梅雨明け前から、東京の気温はグングン上がり、猛暑日に届く勢いだった。それがどうしたことか、梅雨明け発表と同時に、どんより曇り空の夏が始まった。
8月の東京は、連続雨降り21日で観測史上歴代2位。米が大凶作となった1993年の夏を、多くの人が思い浮かべたかもしれない。しかし、24年前のあの夏ほど気温は低くなく、晴れ間が覗かないのに蒸し暑さばかりが記憶に残った。
ここ数年、8月のお盆休みには、大学生以来のテニスライバルとの対抗戦。五十過ぎ男が、名誉とプライドを賭け炎天下のテニスコートで激突するのが恒例となっていた。そんな、年に一度の大切な勝負も、天候不順にさいなまれ立ち消えとなってしまった。
さらに、テニスクラブに顔を出さぬうちに、秋のトーナメントの申し込みが締め切りになってしまった。今年こそ、一つか二つ勝ち星を挙げるつもりだったのに。トーナメント戦が始まった今、たまの休みにクラブに足を運んでも、試合優先でコートはいっぱい。せっかくの秋晴れでも、プレーできやしない。
お庭のビニールプールも、今年は実力を発揮できなかった。プール開きは、梅雨明け発表を待つことなく7月2日。翌々日の4日もプールに水を溜めて水着で読書にいそしんだ。水着の上に長袖長パンツでプールに入らないと日焼けし過ぎるな、と思ったが、お陽様は姿を現さなかった。
結局、この夏のプールはわずかに2日だけ。その後はずっとベランダに放ったらかしで、しなびてヘナヘナになっていた。8月末には、寂しく屋根裏部屋へ去っていった。
ゴルフボールほどの雹が、我が家の草木を襲った
夏の終わりを強く印象づけたのは、8月19日のゲリラ豪雨。東京・二子玉川の花火大会会場が突然の豪雨に見舞われた。浴衣姿の見物客が豪雨と突風で身動きできなくなり、河川敷にうずくまるニュース映像は記憶に新しい。
あの日、僕は京都ロケ帰りで新幹線の新横浜駅に降り立った。迎えの車に向かって駅のコンコースを出た途端、辺りの空気が冷蔵庫のなか程に冷たいことに気がついた。
真夏のベタついた空気が消え、ひんやりとした空気に街全体が包まれているということは、どこか近くで大雨が降った証拠だ。大粒の雨とともに、上空から冷たい空気が地上に引きずり降ろされる。
第三京浜を走り、神奈川と東京の県境、多摩川にさしかかると、ちょうどそこが花火大会の会場だ。茶色く増水した川の流れの横で、河川敷はめくれ上がったブルーシートでだんだら模様になっていた。後でニュースで聞くと、落雷でケガ人も出たとのこと。雨上がりの薄靄(うすもや)が立ちこめる河川敷には、人影は全く無かった。
さらに驚いたのは、車が家の近所に近づくと、排水が追いつかない路面には、大きな水溜りが残っていた。大雨に叩き落とされた街路樹の葉っぱが、車道にも、歩道にも散乱していた。
帰って家内に聞くと、この辺りではゴルフボールほどの雹(ひょう)が音を立てて振り注いだのだそうだ。我が家の小さな庭の草木も、乱れ髪のように枝葉があちらこちらを向いている。大きく葉を広げたギボウシには、大きな穴がいくつも空いていた。
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