テレビ界きっての多趣味人で、博識の石原良純さん。50代で人生により磨きをかける日々の中で感じている、カラダのこと、天気のこと、そしてニッポンのこと。何事も前向きに生きれば、日々是好転! 今年の夏は暑い上に、台風の数も尋常ではありません。そのあおりを受け隅田川花火大会も1日延期に。生中継に出演した石原さんが、花火大会の舞台裏を、裕次郎叔父と過ごした逗子の花火大会の思い出と共に語ります。
台風でもこなければ、花火大会は延期にならない。
連日、夏空が輝く猛暑の夏。よもや隅田川花火大会が延期になろうとは、誰も予想していなかった。そんな週末に限って台風がやって来た。それも、南の海からではなく、東の海から。
台風は日本付近では偏西風に乗って西から東へ動くのが常。ところが、この台風12号は、太平洋を東へ遠ざかると見せかけて、大きく左カーブを描いて日本列島へ接近して来た。関東沖、東海沖を西へ進み、志摩半島に上陸。紀伊半島を縦断し大阪からはまるで山陽本線の下り列車のように九州へ。すると天草諸島を突き抜けた台風は、九州の西方海上を南下する。さらに、屋久島、種子島を中心にグルリと輪を描いて東シナ海から中国大陸へと去って行った。
全くもって不可解な動き。観測史上、過去に例を見ない動き。今までの常識をくつがえす動き。思いもよらぬ場所で、思いもよらぬほどの雨が降る。思いもよらぬ風が吹く。思いもよらぬ高波が打ち寄せる。経験則の成り立たない台風は、経験則の及ばない被害をもたらした。
高波が、伊豆半島東岸の海岸道路をあらい、数多くの車が立往生。救助に向かったパトカーまで流された。熱海のリゾートホテルでは、オーシャンビューのダイニングルームのぶ厚いガラス窓が大波一発でブチ破られた。
一日遅れで開催された真夏の夜の祭典
そんな厄介者のおかげで、7月28日の土曜日は関東各地で花火大会が中止に追い込まれてしまった。しかし、徳川八代将軍吉宗公の肝入りで始まった隅田川花火大会は、そこいらの花火大会とは訳が違う。ちゃんと予備日が設けられている。7月29日の日曜日、一日遅れで真夏の夜の祭典が開催されることになった。

今回の花火大会で僕はテレビの生中継に出演した。隅田川花火大会は、第一、第二の二つの打ち上げ場所がある。第一会場では、総合司会の高橋英樹さんをはじめ多くのゲストが、番組のメインセットから花火を眺める。僕は、屋形船の上から第二会場の様子をテレビ東京・片渕茜アナウンサーと共に中継する。
放送開始は午後6時半。花火の打ち上げ開始は午後7時。でも、屋形船は浅草橋の船宿を午後2時半に出発する。打ち上げ現場により近く、場所取りをしなければならないから早出もしょうがない。
一年中、気楽に江戸情緒を楽しめる昨今の屋形船の船内は豪華だ。さすがに仕事の前にアナゴの天ぷらで一杯とはいかなくても、冷房の効いた座敷にゴロリと横になり、夏の暑さに疲れた体を労わりつつ、夕暮れを待つとしよう。
ところが、そんな僕の目論見は甘かった。船内に足を踏み入れて驚いた。楽しい宴会の場所であるはずの座敷には、ギッシリと中継機材が詰まっている。なるほど、生中継で電波を飛ばすには、中継車そのものを船内にしつらえなければならない訳だ。

その上、屋上のアンテナに繋ぐケーブルやら、張り出した中継カメラやら、船の窓は全て開けっ放し。クーラーなんて効きやしない。器材と器材の間には、汗まみれのTシャツにタオルを鉢巻したスタッフが、これまたギッシリ。僕と片渕アナ、メークさん、衣装さんに与えられたのは僅か2畳のスペース。せめて扇風機を2台向けて涼を求める。川の流れにユラユラ身を任せ、心安らかにうたた寝するという夢は全くもってかなわなかった。
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- 裕次郎叔父はまるで宇宙人だった