テレビ界きっての多趣味人で、博識の石原良純さん。50代で人生により磨きをかける日々の中で感じている、カラダのこと、天気のこと、そしてニッポンのこと。何事も前向きに生きれば、日々是好転! お子さんの受験を控えた石原さんは、“松陰先生の御利益”も期待して、山口・萩の旅に出かけました。実は萩は、43年前に石原家の家族旅行で訪れた思い出の地。43年ぶりの萩はどうだったのでしょうか。
山口・萩は、石原家にとって思い出の地
“おいでませ、山口へ”。
そんな言葉に誘われて、この夏の家族旅行は山口に決定した。
僕が初めて城下町、萩を訪れたのは、中学生を目前にした春休みのこと。祖母と母と弟2人。もちろん、親父は女・子供と一緒に旅行などできるかと。すっかり大人びた高校生の兄も、この旅行には参加しなかった。その後、中学生の僕は部活で忙しくなったから、この山口行が最後の石原家の家族旅行ということになる。
長州藩の城下町、萩は、明治維新の立役者を大勢輩出した。彼等の足跡が、街のいたる所に残っている。ちょっと街を巡れば、まずは世界遺産にも名を連ねる『松下村塾』。吉田松陰が暮らし、門下生を育んだ場所だ。伊藤博文の旧宅もあれば、木戸孝允の旧宅もある。その二筋向こうは、高杉晋作の誕生の地だったりもする。
そんな歴史豊かな街ならば、一昨年の大河ドラマ『花燃ゆ』を観ていたウチの子供らも興味を抱くに違いない。それに来年は、下の子が中学受験。再来年は、上の子が高校受験を控えている。『松下村塾』を観覧し、松陰神社をお参りしたなら少しは御利益があるかもしれない。
萩観光となれば、自転車と相場は決まっている。43年前の小学生の僕も、白壁が往時の佇まいを色濃く残す城下町を疾走した。小旗を持ったガイドさんに引き連れられて観光地を巡るのではなく、思い思いに貸自転車で廻るのは、当時としては画期的なことだった。兄弟3人で先を争い、“危ない”と母親に怒鳴られながら、区画整理が整った武家屋敷の真っすぐな道を走った。
聞けば、日本海に注ぐ阿武川の三角州に造られた萩の城下は、概ね平らで自転車で移動するにはもってこいの土地なのだそうだ。だから貸自転車観光が、全国に先駆けて始まったのだという。
自転車でまず向かうのは、海に突き出た指月山を背負ったお城と、これも萩では相場が決まっている。『萩城』は、日本海と阿武川に四方を囲まれた天然の要塞。籠城の際には、指月山が最後の砦となる平山城(*)だ。
内堀を渡り、本丸へと颯爽とペダルをこいで、城内へ滑り込んだ覚えがある。そんな僕の思い出も、間違ってはいなかった。本丸門跡の入口には、“自転車の乗り入れ自由”と看板がちゃんと立っていた。
城フリークである僕は、日本の名城を数十カ所は巡って来たが、城内を自転車で見て廻れる城は、『萩城』以外に記憶がない。お堀端の草の小径を駆けると桜の枝が頭を突っ付き、地面に浮かび上がった木の枝がタイヤを弾く。しっかりハンドルを握っていないと、危うくお堀の中へ転落しかねない。なんとも大らかに、城内観光を楽しめる。
往時には、高さ14.5m、五層の威容を誇った天守閣は、明治7年の廃藩置県と同時に諸公の範となるべく、いち早く取り壊されてしまった。それでも天守台跡に立てば、砂州に広がる武家屋敷の町並みを遠くまで眺めることができる。
落ち着いた町並みをぼんやり眺めていると、松蔭をはじめ、高杉や木戸といった志士達の熱き息づかいが聞こえてくる気がする。心地よい海風に当たりながら天守台から街を眺めることこそ、萩観光の絶対案件だ。
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