テレビ界きっての多趣味人で、博識の石原良純さん。人生により磨きをかける日々の中で感じている、カラダのこと、天気のこと、そしてニッポンのこと。何事も前向きに生きれば、日々是好転! 今年2月に父・慎太郎氏、翌3月に母・典子さんを亡くした良純さん。コロナ禍も落ち着いてきたこの6月、お世話になった方々のためにようやくお別れの場を設けることができました。最も心配したのは参列者の人数だったそうですが、実際にはどうだったのでしょうか。
去る6月9日、「石原慎太郎 お別れの会」を無事に終えることができた。
2月1日に享年89歳で親父は天寿を全うし、僅か35日後の3月8日には母も親父の元へ旅立った。コロナ禍という状況の下、ごく内輪でしか葬儀を行えずにいた。
石原慎太郎の文学を愛し、政治家としての慎太郎を応援し、また同時代を共に闘った皆様に、せめて花の一本を父に手向けていただくお別れの場を提供したいとの思いがようやく実を結んだ。

どれだけの人が足を運ぶのかまったく想像つかず
今回のお別れの会を催すに当たって、一番危惧したのは参列者の人数だった。石原家の葬儀、法要といえば、まず思い浮かぶのは裕次郎叔父の時のことだ。青山斎場での葬儀には3万人。国立競技場に菩提寺の總持寺を持ち込んだ二十三回忌の法要には12万人もの人に来ていただいた。
会場は渋谷のセルリアンタワー東急ホテル。都心のシティホテルに、万単位の人が押し寄せたならば、何が起こるのか。折角のお別れの場も事故が起こってしまっては元も子もない。もちろん、52歳で亡くなった叔父の当時のファンは若かった。89歳で亡くなった親父の場合はファンも支持者も、親父と同様に歳を重ねている。ましてやコロナの時代だ。どれだけの人が実際にホテルに足を運ぶのか、誰にも想像がつかなかった。常識的な数字に収まるような気もすれば、思いも寄らぬ数になってもおかしくない気もする。
ホテルの担当者から、コロナ下の東京で二つの大きなお別れの会があったと聞いた。一つは高名な歌舞伎役者さん、もう一つは大企業の社長さんのお別れ会。その会の参列者数がそれぞれ1500人と2500人。この二つの数字が参考になるのか、ならないのか。それさえ分からない。
だから会の準備は、ホテルの内外をくまなく歩き回ることから始まった。
宴会場に飾られる祭壇の前から逆算して歩いてみる。祭壇の前には献花の列が何列で、前後の人の間隔を50センチ取ったとしたなら何人並べるのか。次の間にはディズニーランドのようにクネクネと導線を仕切っていけば何人入れるのか。宴会場前の受付から廊下、階段を昇って宴会場専用のエントランスへ。建物に参列者が入りきらない場合は、人の列と車寄せを横切ってホテル敷地内の内庭へ延ばす。それでも人が溢れるようならば、渋谷駅へ続く歩道へ並んでもらうしかないだろう。どの辺りまで列が延び、どのくらいの人が滞留できるのか把握することが、安全に会を運営するのには不可欠なのだ。
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