導かれついでに永平寺ダムへ
ゴールデンウィークを前に、僕が福井の旅へ出かけたのは、我流Go Toトラベルの2022年版といったところか。
コロナ禍で仕事のスケジュールに余裕ができたのだから、余った時間で旅をする。コロナが一段落したのを見計らい福井県越前市の講演会での余暇を有効活用することにした。
土曜日の朝の生放送を終えて、空路で小松空港に入る。まずはどこへ行こうかと迷った時、永平寺の画が浮かんだ。
4月16日に親父とお袋のお骨を一緒に納めた石原家の菩提寺、海宝院も曹洞宗なのだ。永平寺を訪ねようと突然、思ったのはそんな御縁に導かれたからなのかもしれない。
帰り際、お寺の駐車場の案内板にダムを見つけた。僕は導かれついでに永平寺ダムに行ってしまった。駐車場のお兄さんに尋ねると、熊が出るかもしれないつまらない場所だと言うが、近くにダムがあると知れば、立ち寄らないワケにはいかない。
ダムへは一つ南の沢を駆け上がり、トンネルを一つ抜けると目の前に高さ55メートルの立派な堰堤(えんてい)が現れる。新緑の山に囲まれて、どっしりとグレーの堤体が永平寺川に腰を据えていた。小さなダム湖は、道元禅師の名にちなんで大佛湖と名付けられている。管理事務所は閉まっていたから、ダムカードはもらえなかったが、熊にも会わず無事に国道へ戻った。

一乗谷で遠い昔に思いを馳せる
福井旅行のメインイベント、一乗谷朝倉氏遺跡へと向かった。一乗谷は朝倉氏が織田信長に滅ぼされるまで、五代にわたって栄華を極めた“北国の都”だ。
朝倉遺構は、近年、急に整備された。僕が高校生の時には跡形もなかった、ただの山あいの里が400年の眠りから覚め、再び北国の雄の片鱗を見せる。

北国街道の本筋から離れたこの細長い谷に、なぜ朝倉氏は館を構えたのだろうか。
小高い丘の上にある館の庭にも池を擁した立派な庭園跡がある。なぜ朝倉氏は高い文化水準を得たのか。
朝倉義景を頼って一乗谷を訪れたのちの15代将軍足利義昭は、なかなか都へ動こうとしない義景にイラつきながらどんな思いでこの景色を眺めたのか。初夏の山谷の景色から様々なイマジネーションが湧いてくる。山桜も咲き乱れ、申し分のない歴史探訪のひとときだった。
お寺、ダム、お城と大好物が続いたら、お次は鉄道と相場が決まっている。国道の小さな踏切に停車した時、ローカル線風情満載の小さな駅を見つけた。

越美北線(えつみほくせん)は本来、越前と美濃の国を結ぶ路線。でも、線路は県境の山を越えることなく、福井側の北線と岐阜側の南線に分断されてしまった。非電化の単線を福井から九頭竜(くずりゅう)川沿いに越前大野まで、閑(しず)かにディーゼル列車が駆ける。とはいえ、滅多に列車は来ないから、とりあえず駅舎の写真を撮って次の目的地、黒龍酒造へ向かった。
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