テレビ界きっての多趣味人で、博識の石原良純さん。人生により磨きをかける日々の中で感じている、カラダのこと、天気のこと、そしてニッポンのこと。何事も前向きに生きれば、日々是好転! コロナが一段落したのを見計らい、出張先での余暇を有効活用して、福井観光を楽しんだ良純さん。お寺、ダム、お城、鉄道、日本酒、旅館、ビールと大好物を存分に楽しんで、すっかりリラックスモード。とてもいい表情です。
「お寺を訪ねるのは、50歳を超えてから」
曹洞宗の大本山、永平寺を訪ねた。高校の修学旅行以来だから、43年ぶりのことだ。
高校生の僕は旅行に出る前、学校でのオリエンテーションで、寺院は修行の場なのだからくれぐれも静粛にするようにと注意を受けた。特に、鐘や鼓などの鳴り物には絶対に手を触れない。ふざけて鳴り物を鳴らせば、たちどころに修行僧の雲水に取り囲まれて、二度とお寺から出られなくなると脅されたのを覚えている。
多くの人が永平寺と聞いて思い浮かべるのは、大晦日の『ゆく年くる年』の中継だろうか。雪に閉ざされた伽藍から、大勢の僧侶の読経の声が聞こえてくる。堂内では、法衣に身を包んだ裸足の僧たちが規則正しく動き回っていた。
そんな修行僧の多くは、高校生の僕らとさして年の差のない雲水だ。彼らにとって、世俗にまみれてチャラチャラした僕らの振る舞いが面白かろうはずがない。僕らが禁を犯したならば、すぐにふん縛られて薄暗い社の裏のどこかに押し込められてしまうのではと本気で心配した。
福井平野から川筋に沿って緩やかに坂を登る。山影が迫って、登り勾配が急になると永平寺の門前町が現れた。そのどん突きに寺院の入り口がある。杉の巨木が立ち並ぶその奥に伽藍が垣間見えた。

山の急勾配に建てられた幾つものお堂は、昇り降りの階段と廻廊で繋がっている。日当たりの悪い中庭には、厳しかった冬の名残の雪がいまだに残っていた。
床はきれいに磨かれ、庭は掃き清められている。冷えた空気を吸い込み、本堂へと続く階段をキュッキュッと音を立てて昇るのは心地良い。でも、この心地良さが高校生の僕に理解できたはずがない。廊下ですれ違う雲水も、庭を掃く雲水も、皆、幼顔に思えた。お寺を訪ねるのは、50歳を超えてから。これも僕の格言の一つ。

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